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2020.05.15 18:35

親歴20年、上司歴10年、部下140人。乳がんを経た私が、コロナ危機に必要だと思う「力」

北風祐子さん(写真=小田駿一)

2017年5月にステージ0期の乳がんで、左乳房全摘手術を受けた。その後、入院中から書き溜めた手記をもとに、Forbes JAPAN Webで「乳がんという『転機』」全17回を連載する機会をいただいた。

かつては漠然と「がん=死」だと思っていたので、いざ自分が罹患すると、精神的ダメージは想像以上だった。とても一人では抱えきれず、かといって周りにぶつけるわけにもいかず、ただひたすら吐き出すように書いていた。書くことでなんとか気持ちのバランスを保っていた。20年間、育児と家事と仕事以外に自由時間もなく、趣味もなかったが、書くのが好きだったおかげで救われた。

連載を改めて読み返すと、悲嘆に暮れる自分が世界の中心にいて、浮いたり沈んだり、途中からは親友で医師のMをはじめとした友人たちへの公開感謝状になったりと、大騒ぎの1年間だった。

乳がんを「転機」として腹がくくれた


がんも人それぞれだから、「がんサバイバー」とくくることはできない。もちろん、がんであることをカミングアウトしてもしなくても、どちらでも自由だ。私の大騒ぎも、ただの一例に過ぎない。だが、マーティン・スコセッシ監督の「最も個人的なことが最もクリエイティブだ(The most personal is the most creative)」という言葉を都合よく解釈すれば、この1年で感じたことを公表することで、読んでくださった方々が乳がん検診を受けたり、がんと就労について考えたりするきっかけとなればと願った。

術後3年経って、乳がんを「転機」として自分がはっきりと変わったことは、いつか死ぬんだ、と腹がくくれたことだ。大げさではなくて、毎日、今日死んでもいい生き方をしている。自分のエネルギーのやり場に困るほどに。

今、全世界的なコロナ危機下で、誰もが「私にとって本当に大事なものはなにか?」の判断を迫られている。ムダな会議、浅い交友関係、効かない除菌スプレー、ぜいたく支出、ただの噂話、時短するだけの働き方改革……どんどん断捨離されていく。

一方で行動を何も変えない人たちもいる。どんなに混んでいても日課のジョギングをやめない人たち。パチンコ店に行列して「感染したっていい」と高笑いしている人たち。

よくテレビに映る近所の大公園は、芋洗い状態で、子どもたちは遊具にベタベタ触り、親たちは至近距離でダベっている。悲しいかな、「愚」はこうやって親から子へ引き継がれていく。自分たちは感染しないと思っているのだろう。一度がんになった身からすれば、傲慢きわまりない思い込みだ。想像力が致命的に欠如しているから、自分の行動の結果がどのようにつながっていくかを思い描くことができない。どうしてだめなのかが、理解できない。
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文=北風 祐子

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乳がんという「転機」

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