親歴20年、上司歴10年、部下140人。乳がんを経た私が、コロナ危機に必要だと思う「力」

北風祐子さん(写真=小田駿一)


想像力の足りない国家に明るい未来はない


「最前線で闘う医療従事者の皆さん」というフレーズを耳にしても、何が最前線で、何と闘っているのか、全くイメージできないのだろう。親友で医師のMも、ほかの多くの医療従事者の方々も、自分以外の人たちのために、職務上の使命感からどうしても病院で働かなければならない。Mからの近況報告には、武装なし、丸腰、特攻隊、徴兵令、赤紙……という文字が並ぶ。まさに戦場なのだと想像できる。フェイスシールドやマスクは足りず、タクシーも医療関係者だと嫌な顔をされる。軽症患者の滞在するホテルでの駐在勤務も、そのうち任意ではなく“徴兵令”になるだろう、と。

そうして、疲れ果てて帰ってきたときに、駅前の公園で芋洗い状態で遊ぶ親子たちを目にしたとしたら、どれほどやるせない気持ちになるだろう。自宅に届く2枚のマスクを、医療従事者はどんな気持ちで受け取るのだろう。マスクを届けるべきは、まず、病院だ。人命最優先。医療崩壊したら、人が死ぬ。どうしてこんなに簡単なことがわからないのだろう。想像力の足りない国家に明るい未来はない。医療従事者の過酷な状況と比べたら、家に居続けることなどなんともない。だが、芋洗い状態の人たちには想像できない。この人たちに変われと言っても無理だ。

子どもに“正解”なんて、最後まで与えなくていい


親が、子どもの小さいうちから意識していないと、想像力は育たない。例えば、子どもに何かを質問されたとき、どうするか。すぐに(大人が勝手に正解と思い込んでいる)“正解”を返すのは、ダメ。「あなたはどう思う?」と聞き返すほうがいい。そうすると、子どもはああでもない、こうでもないと考える。そのあいだ、ひたすら壁打ちの相手になりながら、待つ。そのプロセスが、考える筋力、想像する筋力を少しずつ付けてくれる。“正解”なんて、最後まで与えなくていい。赤ちゃんのときからずっと続けるこのプロセスが、何より大事だ。

3月に入った頃、感染リスクが心配されるなか、大学のサークルの会合に外出しようとした娘にも「やめなさい」ではなく「よく考えなさい」とだけ言った。親にやめろと言われたからやめているようでは、この先の人生、自分で決断できなくなる。ひたすら自分で考えるしかないのだ。これまでも自分で考えてきたから、今だってきっと考えることができるはずだと信じて、ぐっとこらえて、ただひとこと「よく考えなさい」と。結局、娘は、考えた末、三密ではない河川敷に出かけてしまったのだが。

娘の個別指導塾での講師アルバイトでも似たようなことがあった。生徒は授業を受けに校舎に来る。が、講師である自分はどうするか。生徒の期待に応えたいが、外出はしたくない。考えて、考えて、考えて。行くべきか、やめるべきか、どちらがいいのか。白黒つかないまま、どちらかに決めなければいけない。大人になれば、どうしたらいいかわからないことなど山ほど出てくる。
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文=北風 祐子

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乳がんという「転機」

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