社会と組織との間で揺れる個人
組織に所属する人であれば、Aさんの苦悩は多かれ少なかれ想像できるのではないだろうか。「自身の正義感・良心に正直でありたい」「社会のために正しい行動がしたい」という思いと、「組織(会社)や組織人(会社員)としてのリスク」の間で揺れる。
Aさんは、自身の正義感・良心や公益よりも、組織の利益と自分のキャリアを優先することを選んだ。Aさんを非難することは簡単だが、話はそう簡単ではない。
Aさんの家族が「記者に情報提供する必要はない。なぜあなたがそこまでしなければいけないのか」と“助言”したことも、Aさんの判断に少なからぬ影響を与えた。
Aさんは、内部告発がバレたケースを聞いたことがあるので怖い、とも話した。その不安は当然だと思う。
かつて上司の不正を内部通報したオリンパス社員は氏名を漏洩され、会社を相手に訴訟を起こした。オリンパスをめぐっては、ほかのケースでも社内における内部通報者の保護が信頼を失い、外部への通報・情報提供が相次いだ経緯がある。
企業は「公益通報者保護法」の理念や趣旨を正しく理解し、適切に対処する必要がある。内部通報者が保護されずに報復されることは、断じてあってはならない。その内部通報者を守れなかったというだけでなく、ほかの事案の内部通報者もひどく萎縮させてしまうからだ。
2006年に施行された公益通報者保護法は、公益のために不正を通報した従業員や公務員に対する、左遷や解雇など不利益な処分を禁じている。組織内部での通報で是正が期待できない場合は、報道機関への内部告発についても定められている。
ここでいう公益とは、社会一般の利益や、不特定かつ多数の人の利益を指す。ある特定の組織や企業の利益、個人の利益とはまったく異なるものだ。
公益通報者保護法をめぐっては、政府は、「内部通報者」の通報を受ける企業の担当者に刑事罰を含む罰則付きの守秘義務を課す内容などを盛り込んだ改正案を今国会に提出している。保護すべき通報者の対象も、役員や退職後1年以内の元従業員に拡大されている。
自動車の欠陥や食の偽装が明らかにされず隠蔽された場合、多くの人の命や安全を脅かしかねない。私たちが暮らす社会の信頼や安全は、一人ひとりのインサイダーの勇気の積み重ねによって守られてきた面があることを忘れてはならない。
一方で、法制度の整備だけでなく、社会全体や企業の空気を変えていく必要もあるだろう。内部告発があった場合に「誰が漏らした」と犯人探しをする風潮を終わらせ、恐れや不安を超えて果たされた勇気ある社会正義の実現を歓迎する社会環境をつくっていかなければならない。