経済・社会

2020.05.04 13:00

独自に「非常事態宣言」を発表 なぜ岐阜県は迅速に動けたのか

Photo by Buddhika Weerasinghe / Getty Images

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思えば、1月末にロサンゼルスに出張した際は、この街がその約1カ月半後に封鎖されるとは考えてもみなかった。帰国便のなかでも、マスクをしているのは私を含む日本人をはじめとするアジア人のみだった。

2月初旬、ロンドンで日本の文化やものづくりなどを紹介している「JAPAN HOUSE LONDON」のディレクターが岐阜に来県し、次回の企画展示について話し合った。すでに、ダイヤモンドプリンセス号内での新型コロナウイルス感染が連日報道されていたが、東京にも数回出張した。

日本は収束どころか混迷状態


そんななか、イギリス在住の知人女性から、3月中旬の日本への旅行について相談を受けた。「日本に行っても大丈夫か?」というものだった。感染の波がじわじわと世界を浸食し始めていたのだ。結果、2月21日に、彼女から日本行きのフライトやホテルをすべてキャンセルしたとの連絡が入った。

その頃、イギリスでは日本を含むアジア9カ国から入国した人間は、全員が自主検疫を義務付けられ、2週間は外出禁止という厳しい対応が始まっていた。彼女からは、イギリスに比べ日本の対応の甘さを指摘され、新型コロナウイルスを甘く見てはいけないと、連日忠告を受けていた。

同じ頃、東京のツアーコンダクターの友人からは「フランスへのツアーを会社がキャンセルにしない。どうしたらいいのか?」という相談があった。欧州での対策やアジア人への風当たりも厳しくなっているので、会社に催行中止を訴えたとのことだが、「客がいる以上は行ってくれ」との返答だったとか。大手の旅行会社でも、まだそんな感じだった。

その後、フランスから帰国した彼女の報告では「現地には日本の大学生が卒業旅行でたくさんいた。まさにノーテンキとしか言いようがない」という話ももたらされた。ちなみに、その後予定されていたイタリアとスペインへの団体旅行は、3月10日にやっと中止になったとのことだった。

日本の旅行会社は、あの頃、どれくらいこの新型コロナの感染に危機感を持っていたのだろうか。どうしてもっと海外からのリアルな情報を得ようとしなかったのだろう。もしくは情報は得ていても、結局、国の指示がないと何も動けないということだったのだろうか。私は、ひとり焦燥していた。

その頃の日本について、前述したイギリス在住の知人は「日本は収束どころか混迷状態」と表現していた。その後、欧州の主要な国々で都市封鎖され、5週間以上が過ぎた。まさに「非日常が日常になる」という状態となった。
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文=古田菜穂子

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