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2020.05.02

世界最強の女性経営者から私が教わった「3つのダメ」 #新しい師弟関係

パーソルホールディングス代表取締役社長CEO水田正道(左)と、テンプスタッフ創業者の篠原欣子。写真=パーソル提供

新型コロナウイルスの影響で、人との物理的な距離感、コミュニケーションの仕方が変わるなか、「いかに人間関係を育むか」は、この先の大きな論点のひとつだろう。 4月25日発売のフォーブス ジャパン6月号では「新しい師弟関係」に焦点を当て、全55組の師弟を紹介。本誌掲載記事から一部抜粋でお届けする。


米「フォーチュン」誌の選ぶ「世界最強の女性経営者」に、2000年から12年連続で選出された人物がいる。1973年、当時38歳で人材派遣会社テンプスタッフを起業した篠原欣子だ。現在、国内492拠点、海外188拠点のサービスネットワークをもつ総合人材サービス企業へと成長を果たしたが、その影には篠原自らヘッドハントし、後継者に選んだ水田正道の存在があった。水田は現在、パーソルホールディングス代表取締役社長CEOを務める。「30年以上、ともに汗をかいた」という水田が、篠原を師と仰ぐ理由を語る。
 
水田:篠原さんという人は、本当に自然体で、魅力的な経営者なんです。まさにカンパニーメッセージの「はたらいて、笑おう」を率先しているというか。経営者としての側面を先に語ると、「Small is beautiful」の精神がまず思い浮かびます。

彼女の経営方針は3つある。1つ目は、合理性で考えないこと。例えば事業が始まると、すぐに分社化する。それこそ売り上げ200億円でも、別会社にしてしまうんです。なぜなら、事業が小さければ、神輿を「全員」で担がなければいけないから。「“少数精鋭”ではない。“少数”だから、“精鋭”になるのよ」と口癖のように言っていました。

2つ目は、不動産などのストックをもたないこと。そういう余計なものがあると、いざとなったときに社員の雇用を守れないからです。

3つ目は、本業の重視です。銀行から財テクを勧められても、乗らなかった。「そんなもので稼いではダメ。汗をかいて稼ぐことがバカバカしくなり、本業を大事にしなくなる」と言う。

出自も関係あるでしょうね。父親は篠原さんが8歳のときに病死し、母親が助産師として5人の子どもを育てあげていますし、ご本人も離婚後に留学し、海外の企業で働いた経験がある。

起業の理由は「この事業で社会に貢献したい」という純粋な想い。汗水たらして働く尊さを篠原さんはよく知っているのだと思います。ただし、本業で大きく稼ぐことはよしとしていました。「お客様に事業をご理解いただき、信頼していただき、信頼していただいたうえで稼ぐことの何が悪いの?」と考えていたんです。
 
個人的な側面で言えば、とてもチャーミングな人ですね。私はよく「怒っちゃダメ」「いばっちゃダメ」「カッコつけちゃダメ」と口酸っぱく言われましたが、篠原さんは本当にカッコつけないし、偉ぶらなかった。

あと、「水田さん、私、何もわからないのよ」と言うんですが、本当に驚くほど世間知らずなところがあった。社員の結婚式にふたりで列席したとき、社員のお相手の主賓が国民的大スターの野球選手と俳優さんだったんです。ところが篠原さん、俳優さんのことを「あの人、誰?」と(笑)。しかも野球選手が野球の話をしていたら「ずいぶん野球にお詳しいんですね!」と笑顔で話しかけていた(笑)。

営業先でもライバル会社の社名を間違って言ったりと、天真爛漫過ぎ。でもみんな笑って許してくれますね。

これからのリーダーにはつまらない威厳なんて必要ないと思います。大勢を惹きつけてしまう人がいい。それには──(続きはフォーブス ジャパン 2020年6月号でお読みいただけます)。

水田が篠原から学んだ「最も重要なリーダーの資質」とは何か。そのほか、マネーフォワードCEO辻庸介、マクアケ代表取締役社長の中山亮太郎、作家の辻仁成から政治家野田聖子まで、全55組の師弟関係を一挙公開。フォーブス ジャパン2020年6月号は現在、好評発売中! ご購入はこちらから。

 

水田正道◎1959年生まれ。84年、リクルートに入社。88年、篠原欣子にヘッドハンティングされ、同社に転籍。常務、副社長を経て、2013年にテンプホールディングス(現パーソルホールディングス)代表取締役社長に就任。
 
篠原欣子◎1934年生まれ。三菱重工業を退社後、66年よりスイス・イギリスに留学。オーストラリアで社長秘書として働いたのち、帰国して人材派遣会社のテンプスタッフを起業。現在、パーソルホールディングス名誉会長。

文=堀香織

この記事は 「Forbes JAPAN 6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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