エルトン・ジョンの半生 映画『ロケットマン』から読み解く成功と孤独

エルトン・ジョン(Photo by Ian Gavan / Getty Images)

音楽史上最も成功しているソロ・アーティストのひとり、エルトン・ジョン。2019年に公開された映画『ロケットマン』は、ジョンの半生をミュージカル・ファンタジーとして描いたことで話題を集めた。

『ロケットマン』のストーリーと彼のセールス記録から、伝説のアーティストとして愛され続けるジョンの歴史を紐解く。

エルトン・ジョンがスターダムに駆け上がるまで


1947年、ロンドン郊外の町で生まれたジョンは、イギリス空軍飛行中隊長を務めていた厳格な父親と、子どもに対して関心の薄い母親のもと、孤独な幼少期を過ごしたという。

映画『ロケットマン』では、ジョンが孤独な思いを募らせながら、幼い頃から音楽の才能を開花させていた様が描かれている。一度耳にしただけのヘンデルの曲を完璧に弾きこなすなどして「神童」と呼ばれたジョンは、11歳で王立音楽院に合格し、6年間在学していた。

60年代には友人らとバンドを結成し、各地をミュージシャンのバックバンドとしてツアーを回る傍ら、あるレコード会社の公募に応募したことをきっかけに、後にタッグを組む作詞家バーニー・トーピンと出会う。

ふたりの運命的な出会いによって生まれた『Your Song』は、全英、全米でトップ10入りを果たし、以降立て続けにヒット曲を生み出したジョンは、一気にスターダムへと駆け上がった。


チャート史上最も売れたエルトン・ジョンの楽曲


『ロケットマン』では、ジョンの人生の転機となる『Your Song』が生まれる瞬間が印象的に描かれているが、他にも数多くのヒット曲がストーリーを彩っている。

セールス記録という観点から言えば、注目すべきはチャート史上最も売れたシングルとなった『Candle In The Wind』だろう。

マリリン・モンローの死を悼み、彼女へ贈った曲としてオリジナルバージョンがシングルとしてリリースされたが、当時はアメリカでは発売されていなかった。87年にジョンがメルボルン管弦楽団とのコンサートを行った際のライブレコーディングとしてシングルカットされ、アメリカでのリリースに至った。

全米シングルチャートで6位を記録し、97年にはダイアナ元英皇太子妃に捧げるリメイク版がリリースされた。イギリスでの初日の売り上げは65万8000枚を越え、アメリカでは予約枚数が870万枚にものぼる歴史的大ヒットとなった。この楽曲でジョンは、98年度のグラミー賞で最優秀男性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

世界的スター、エルトン・ジョンの成功と孤独


グラミー賞を5度に渡って受賞し、94年にはグラミー賞などと並び4大音楽賞に数えられる「Rock and Roll HALL OF FAME(ロックの殿堂入り)」を受賞。さらに、98年にはナイト爵を授けられるなど、華々しい功績を残してきたジョンだが、『ロケットマン』では、彼がスターとなった後も深い孤独を抱え続け、そこからアルコールやドラッグに溺れていく様が描かれている。

実際に90年代にはドラッグやアルコール中毒、過食症のために入院を経験しているが、一方で音楽活動における成功はめざましい。94年にはディズニー映画『ライオンキング』の音楽を手がけ、主題歌『Can You Feel the Love Tonight』でグラミー賞最優秀ポップ男性ボーカル賞とアカデミー歌曲賞を受賞。

2011年にフォーブスが発表した「世界中で最も稼いでいるミュージシャン」ランキングでは、1億ドルを稼いだとして3位にランクインした。成功と名声、根深い孤独や依存が入り混じるジョンの人生は、映画以上にドラマティックであるといえる。

14年、イギリスで同性同士の結婚が合法化されたことを機に、長年のパートナーだったデヴィッド・ファーニッシュと正式に結婚。また、18年には同年秋から開始する世界ツアーを最後に、公演活動から引退することを表明した。

最近では、世界的な新型コロナウィルスの感染拡大を受け、非営利団体「Global Citizen」と「世界保健機関(WHO)」がレディー・ガガとコラボしたスペシャル番組『One World: Together at Home』へ出演したことが、再び注目を集めるきっかけとなった。

文=野田美香

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