30年前、私が出版社に勤務していた時代、4マスと呼ばれたテレビ、新聞、雑誌、ラジオの「旧メディア」の間には明確な垣根が存在していた。それぞれのプラットホームは完全に独立し、相互に「不可侵条約」さえしかれていた。
インターネットの到来も「鳴り物入り」と形容するよりは、わりと静かな波から起こった。1993年にLycosが検索エンジンをスタートさせた際、日本で専門家以外にその変革の兆しに気づいた者は多くはなかった。しかし94年創業の米ヤフーが「Yahoo! JAPAN」として96年に日本版サービスを開始すると、その波紋は日本市場を覆っていった。
90年代後半、旧メディアはインターネットがもたらす変革に気づいていなかった。もしくは気づいていたとしても、既存の自らの牙城を死守すべく、この新しい戦線に積極的に参戦することはなかった。WEBサイトこそ立ち上げたものの「デジタル局」などに寄せ集められたメンバーが業務を遂行し、戦略的な展望などは持ち合わせていなかった。このすきまを縫い、Yahoo! JAPANは2000年までに、日本市場におけるトップランナーの地位を確立。「PC+インターネット」ビジネスにて一強時代を築き上げた。
「打倒・ヤフーニュース」が掲げられる中での挑戦
マイクロソフトMSN事業部に所属していた私は「打倒・ヤフーニュース」が掲げられる中、MSNニュースと毎日新聞サイトを合併させた「MSN毎日インタラクティブ」を2004年に送り出した。当時、新聞社のサイトとしては日本一のトラフィックを稼ぎ、ヤフーニュースへと肉薄した。
「老舗新聞社+ソフトウェアの巨人」、異業種間の協業は成功したように見えたが、最終的なゴールのズレからほころびが生じ、数年後に解消されてしまった。この協業が続いていれば、日本におけるデジタルメディアの勢力図は、現在とはまったく異る形になっていただろう。
MSNと毎日新聞の協業による速報は、現在のLINEニュースの先鞭だろうし、両社が袂を分けてしまったことは残念に思う。
2社の協業は結果として2007年、朝日新聞、読売新聞、日経新聞は3社合同の対抗策を生み出した。「日経・朝日・読売インターネット事業組合」によりニュースサイト「あらたにす」がリリースされ、3社による協業が試行された事実は、日本新聞史上に残るちょっとした事件だ。
インターネット接続がダイヤルアップからADSLなどブロードバンド時代へ移ると、ユーザーの情報収集の主流は完全にデジタルへと移行した。旧メディアは、デジタル領域においてヤフーを代表とするキュレーション・サイトに記事を提供するコンテンツ・プロバイダーに徹することでしか、マネタイズがかなわない現状となった。