若者の間で薄れゆく沖縄戦の記憶 これからの慰霊について考えたこと

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沖縄では、75年目の慰霊の日を間もなく迎えようとしている。6月23日は、第二次世界大戦の沖縄戦において、日本軍の組織的戦闘が集結した日とされている。

日本国内で唯一の民間人を巻き込んだ地上戦を経験し、いまも多くの米軍基地が残る沖縄の人々にとって、この日は特別な一日である。沖縄各地で慰霊祭が開かれ、沖縄戦でなくなった人々を偲ぶ。

だが、当時の戦争体験を語り継ぐ人々は少なくなっている。終戦時に5歳以上だった人、つまり現在80歳以上の人は51599人(2019年1月総務省発表より)。2015年3月には、ひめゆり平和祈念資料館で語り部活動をしていた元ひめゆり学徒隊の方々が高齢を理由に引退されたことが大きなニュースとなった。

一方、若い世代の平和学習離れや関心の低下も叫ばれている。2015年には、沖縄歴史教育研究会と沖縄県高教祖が5年ごとに実施している沖縄県内の高校生を対象とした平和教育に関するアンケートにおいて、沖縄戦終結から70年と正しく答えられた人が54.7%と、前回の70.9%から大きく低下した。また、沖縄戦における集団自決の現場の一つとなったチビチリガマが2017年9月に荒らされ、地元の少年たちが逮捕され、このガマで過去に起きたことを「知らなかった」と発言したことは大きな衝撃とともに伝えられた。

いま、沖縄の若者は沖縄戦やその後の沖縄が歩んだ歴史に対してどのように向き合っているのだろうか。

沖縄県嘉手納町で生まれ育ち、沖縄国際大学学部時代には学生自ら米軍基地や沖縄戦の戦跡を案内するサークル「スマイライフ」の中心メンバーとして活動。大学院進学後は、基地城下町コザの研究や白梅学徒隊の体験と慰霊祭の継承に取り組む伊波春奈さんにお話を伺った。


──沖縄の歴史に興味を持ったきっかけは、何だったのでしょうか?

何か1つの出来事がきっかけだったわけではなく、子どものころのさまざまな体験が積み重なって、関心が強くなっていったのだと思います。

私が中学生のとき、嘉手納町では、琉球王国時代から関係性の深い中国の福建省と交流事業を行っていました。その事業の一環として、福建省でホームステイをしたことがあります。資料館に展示されていた琉球からの朝貢船を見て、琉球王国の時代がかつて確かにあったことを実感しました。

また、6月23日の慰霊の日が近づいてくると、第二次世界大戦の沖縄戦に関する話を聞く機会が増え、学校で「さとうきび畑」や「島唄」など、沖縄戦に関連する歌を歌うこともありました。

そんな体験を通して、沖縄の近現代史に興味を持ち、それを学ぶことができる沖縄国際大学に入学することにしました。

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伊波春奈さん
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文=谷村一成

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