ソーシャル・ディスタンスに失敗しても、居場所はいつか手に入る

左:レティシア・ドッシュ、右:レオノール・セライユ監督(Dominique Charriau/WireImage)


その印象は、ドラマが進行するにつれて強まっていく。

昔の友人や顔見知りの家を訪ねるも自分の居場所はなく、仕方なく安ホテルに辿り着き、猫の病院代がなくてアクセサリーを売り、仕事を探して歩き回るポーラ。様々な場所で出会う他人とのコミュニケーションにはいつも、ちょっとしたズレや滞りが生じる。それは、ポーラが人との距離を取るのが下手だから。言い換えれば、ソーシャル・ディスタンスに鈍感だ。

自分の興味に従って本筋から離れたことを言ってしまったり、瞬発的に思いつきを口にしてみたり、前置きなしに切り込んでしまったり。側で見ている分には面白い人物だが、30過ぎているのにまるで10代の若者のような不器用さ、無防備さが目立つ。

だが、状況に正直かつデリケートに反応し続ける顔は見ていて飽きない。失望と漠然とした不安の中で、押さえつけていてもつい出てしまう悪戯っぽさと、くるくる変わる好奇心に満ちた表情がチャーミングだ。

「パリが人間を嫌いなのよ」


安ホテルでは猫を連れていることがバレて苦情を言われるが、シャワーを浴びている途中の素っ裸のままでドアを開けるのは、警戒心がないのか開き直っているのかその両方か。もっとも細かいことに囚われないその自由さも、分別臭い大人たちの間では大概裏目に出、その結果、彼女は孤独になる。

ハッとするような台詞も吐いている。足を踏み入れたデパートで出会った従業員の黒人青年ウスマン。文字通りのソーシャル・ディスタンスを取ったままぎこちない会話を交わした後で、ウスマンが「パリが嫌い?」と尋ねると、瞬時に「パリが人間を嫌いなのよ」と返す。

パリで迷子のようになっているポーラが本当に言いたいのは「パリが私を嫌いなのよ」だろう。世界有数の古く美しい都市と言われるあのパリが「人間を嫌い」という言い方は、なかなか詩的で面白い。

どうやったらパリに愛されるのか。いや、心地よい距離感が生まれるのか。思い切って15歳で家出したきりの実家に行ったものの、母親には思い切りソーシャル・ディスタンスを取られ、行くあてもなく地下道を歩き回り、すっかり疲れ果てて地下鉄に乗るポーラを、ドキュメンタリーのようにカメラが追いかける。
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文=大野 左紀子

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