某月某日
パソコンでメールをチェックしていると、航空券の予約がキャンセルされたとの知らせが届いていた。
5月末で東京に帰任せよとの辞令が出たので、5月31日にニューデリーを出発して翌朝に羽田へ着く便を予約していた。その日をもって、3年8カ月のインド駐在生活を終えるはずだったが、なんとも人生とは思惑通りにいかないものだ。
コロナウイルスの感染拡大によって、インドは3月25日より全土がロックダウン(封鎖)されてしまっている。交通機関の大部分がストップし、空港も閉鎖された。運航再開の見通しが立たない中、ANAもJALも5月末までの運休を早々に決めてしまったのだ。
普段は人手の多いニューデリーの商店街も、歩く人はほとんどいなくなった
アメリカやヨーロッパでの感染拡大と死者の急増が深刻の度を増し、日本でも緊急事態宣言の発出によって、生活に大きな影響が出ている。ニュースがコロナ一色に染まる中で、インドの状況はあまり注目されていないのかもしれないが、感染者は4月17日現在で1万3387人に達している。ロックダウンが始まった時点で600人を超えていた感染者数は、3週間あまりで20倍以上に増加したことになる。
だが、この数字を正面から信じる人は決して多くはない。13億の人口を抱えるインドで7億人以上と言われる貧困層の人たちへの感染が、その数字以上に拡大していると思われるからだ。
ロックダウンの実施後、ニューデリー市内の幹線道路では車がほとんど姿を消した一方で、多くの人たちが荷物を抱えながら、炎天下を歩き続けていた。建設現場や工場がストップし、職を失った出稼ぎ労働者が住むところを追い出され、何百キロも先の故郷に徒歩で向かおうとしているのだ。取材のため車で移動する私を横目で見つめるその姿は、あまりに痛々しく言葉を失ってしまった。
地方政府は急きょ、臨時バスを出したが、バスターミナルには数え切れないほどの労働者が殺到した。行き場を失った人たちには、政府が学校などの公共施設を利用したシェルターを用意したものの、狭くて換気の悪い部屋に人々がひしめきあい、人との距離を保てない「三密」が常態化している。
スーパーマーケットの入店を待つ人たちには、間隔を開けるために立ち位置が道路に示されている