好きなことよりも「得意なこと」を。ある音楽家がグラミー賞候補になるまで

音楽プロデューサー starRo(スターロー)

およそ20年間、アジアで、日本で、アメリカで、さまざまな業種の「会社員」を経験してきたstarRo(スターロー)は、ある日突然、世界最大の音楽賞「グラミー賞」の一部門にノミネートされた。彼はその晴天の霹靂を「地元で草野球をやっていたら、急に巨人からスカウトされた」と喩える。

あらゆる産業がデジタル化する過渡期、starRoはその遠回りな20年をどのように歩んできたのだろうか。彼の実践と哲学は、時を重ねるほどに洗練され、解像度を増している。あらゆる常識が覆りつつある2020年以降を生き延びるにはどうすればいいのか。そのヒントを、starRoが語る。

染み付いた「サラリーマン根性」


──グラミー賞ノミネートアーティストであるstarRoさんですが、新卒ではゴムのメーカーに就職されたそうですね。

元々就職するつもりはなかったんです。音楽をやりたかった。でも、大学在学中のアメリカ留学の費用を親から借りていて、そんな状態で好きなことだけやるのは違うから、就職活動をすることにしたんです。

でも、就活のスタートには出遅れたし不景気だしで見事に落ちまくった。なんとかゴムの部品をつくる会社に決まったのですが、入社2カ月でいきなりシンガポールの営業部に配属になりました。

留学費用を返すため、少しだけサラリーマンをやるつもりだったんです。でも、上司が帰任したあと僕が支店長になったので、結局6年間シンガポールで働くことに。そこでサラリーマンとしての自分から抜けられなくなった。音楽家になろうという考えが一度消えたんです。

──音楽への思いを忘れた、ということでしょうか?

忘れたわけではないですが、根底のマインドがサラリーマンになったんだと思います。毎月決まった収入があり安定した生活だったので、週末にDJをやって、そこそこ有名になっている状況に満足していた部分もあった。

帰国後は本社勤務になったのですが、日本的な組織が合わなかった。馴染もうとして、飲み会に参加してみたり、競馬新聞を読んでみたり、パチンコをやってみたり……でも、俺にはできないな、と。

だけど、サラリーマンの安定した生活にどっぷり浸かっていたから、会社を辞めて音楽家として活動することもできなかった。そんななか、少しでもクリエイティブな環境に行きたくて、ゲームの会社「SEGA」に転職しました。



──具体的にはどのような仕事を?

そこでは、ヨーロッパ全体のいわゆる管理会計、PL作って売上分析して、それを経営陣に報告していました。朝8時から夜の2時ぐらいまでずっと働いて、人生で一番忙しい時期でしたね。僕、元々結構抜けているんですよ。だから数字の管理は一番不得意な分野。とにかくミスをしちゃいけないと思って、何度も何度も確認して、エクセルを睨んでは「なんで合わないんだ?」ってやっていた。ミスする恐怖に追われながら仕事をしていて、かなり辛かったです。

その後、ロンドン駐在の予定もあったのですがその前に、転職してから1年半くらいで辞めました。これは日本にいられないなと思って、とにかく観光ビザでアメリカに行くことを決めたんです。現地でたまたま拾ってくれたSIer企業があって、はれてアメリカに住むことができました。
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文=長嶋太陽 写真=小田駿一

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