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乳がんという「転機」


大企業で働き続けた、成れの果て


もとはといえば、この会社には、小説を書くための修行の場として入ったのだった。

就職の際の採用面接で掲げていた「うまくいっていないことを、知恵を絞って解決するのが好きだから、売れないモノやサービスを、自分が介在することで売れるモノやサービスとして人につなげたい」というのは表向きの志望理由で、実際には、ここで人にもまれて、人が動く企画を考える訓練をすれば、いずれ人間心理の理解が進み、小説を書く力がつくのではないか、というのが真の動機だった。

それから27年。もうとっくに会社を辞めている予定だったのに、どうしてまだいるんだろう。

もともと負けず嫌いなのが災いして、仕事のコンペでの勝ち負け自体に没頭してしまったから?
思ったよりチームワークが楽しかったから?
子どもを二人産んでも仕事を続けられるくらいに居心地がよかったから?
いつもそろそろ飽きてくるタイミングで異動や昇進の機会が訪れたから?
そうこうするうちに子どもたちの学費がかさんで身動きが取れなくなってきたから?

それもこれもちょっと引いてみれば、完全に大企業の歯車になっていたということ。無意識のうちに、終身雇用を前提としたぬるま湯での動き方に慣れてしまったということ。辞めるなら、管理職になる前に辞めるべきだった。部下ができてしまうと、ちっぽけな責任感が、逃げられない仕事を増やしていく。

悲しくなるほど女性管理職が少ない職場ではあるが、管理職に求められる「瞬時の判断力」「チームメンバーを守る力」「健全で前向きな組織を作る力」は、本来、広義の「母性」も得意とするところだ。実際に、目の前にいる人たちが自分の子どもだったら……と思うと、逃げるわけにはいかない局面は多い。

よし、言うぞ!


先日も、職場でのマナーについて、さんざん迷ったあげくに、思い切って100人の局員全員に問題提起をしてみた。

フロアで一台、毎回カプセルをセットするタイプのコーヒーマシーンを共用しているのだが、コーヒーを淹れ終わった後、使い終わったカプセルを捨てないで、本体の中に残したまま離れてしまう人が多い。たまたま忘れてしまっただけかもしれないが。とにかく毎回、前の人のカプセルが残っている。これは、「トイレットペーパーが自分の番でなくなったのに、付け替えずに筒のままで去ってしまう」、「便座を上げたまま出てしまい、家族内の女性陣に嫌われる」といったケースと似ている。

小さなことのようでいて、積み重なると職場環境を悪くし、組織を荒廃させる一因となる。離婚も、街の治安悪化も、小さなことの積み重ねで起きる。ましてやアイデアの力で相手が喜ぶ変化をもたらすのが社命であるこの会社において、職場で隣に座っている人を不快にさせてしまうようでは、社業の遂行すらおぼつかない。

がみがみ言ったところで、うるせーな、細かいな、母親かよと思う人もいるだろう。病気になる前の自分だったら、自分の子でもない他人にここまで言っても労力の無駄と、見て見ぬふりをしたかもしれない。が、今の私は、毎日、「今日死んでも後悔のない生き方をしたい」と本気で思っている。健康な人たちの集団にとっては場違いだとは思うが、それくらい思い詰めている。なので、そんな民度の低い人たちに何と思われようとかまわない。あ、気をつけなきゃ、と思ってくれる人が一人でもいればそれでいい。

よし、言うぞ! と、「淹れたらカプセル捨てるところまでやりましょう! うちの子たちだったら許さないので、あえて苦言呈します」と書いて、全員に送ってみた。

文=北風祐子、写真=小田駿一、サムネイルデザイン=高田尚弥

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