BORIS BRAUN University of Cologne
ケルン大学 ボリス・ブラウン教授
『異なった分野が関連しながら成長することが地域には大切!』
第二次世界大戦後、1950~60年代の経済復興期にドイツは「第一の奇跡」を達成した。89年11月にベルリンの壁が崩壊し、90年10月に東西ドイツが統合されると、旧西側にとっての苦難の時期が始まる。そして今やドイツは「戦後第二の経済的奇跡を達成した」と評される。
「統一後のドイツは、東側の経済がうまく回らず“ヨーロッパの病人”と揶揄されました。製造業は大都市に集中しなくとも、都市部の周辺で発達できます。統一前から製造業の基盤がしっかりしていたため、もともとある強みを生かして経済を再建していきました」
世界競争力ランキング(2014年版)を見ると、ドイツは日本を抜いて世界第5位に位置する。
「ビジネスは高度化し、人口8,000万人の国内市場もうまく回り、ドイツはすでに“ヨーロッパの病人”ではなくなりました」
ドイツはフランクフルトやケルン、ハンブルクなど全国に大都市が分散し、どの農村部からも都市部へ1~2時間でアクセスできる。通勤範囲内の都市部が各地に散らばることにより、各地域の均衡的発展が可能になった。
「ドイツにはポルシェ、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンなど世界的自動車メーカーが多数あります。重厚長大型の自動車産業ですら、シュトゥットガルトやミュンヘンなど全国に分散しているのがドイツの素晴らしい特徴です。機械エンジニアリングはバーデン・ヴュルテンベルク州やノルトライン・ヴェストファーレン州で発展し、化学・製薬工業はケルンを中心に伸びてきました」
ドイツの製造業の特徴は「related variety」(関連した多様性)だとブラウン教授は指摘する。
「お互いに関係した産業が1カ所に集積し、クラスター間のネットワークを生かして発展していく。重要なのは、従業員30~100人規模の目立たない中小企業が、産業集積の中で強い競争力をもっていることです。たとえば新聞紙を運ぶ専用のベルトコンベアをつくったり、彼らはニッチな市場で競争力を発揮してhidden champion(隠れた勝利者)と呼ばれています」
古い産業が次第に衰えていく中、近年のドイツでは新しい雇用市場の開拓も進んでいるそうだ。大工場をもつ必要がない広告、メディア、クリエイティブ産業が、都市経済復活の起爆剤になっているという。
「ハンブルクやミュンヘン、ケルンでは、テレビ番組の制作会社がオランダ、ベルギー、スイスなどドイツ語圏へ映像ソフトを輸出しているのです。小さな会社が何百も都市部に集中し、一つのプロジェクトに半年から1年取り組む。仕事が終わったあとには、お互いをよく知る企業同士でチームを組み替え、新しいプロジェクトに参加するのです。将来は都市部において、優秀でクリエイティブな労働力をめぐる競争が起きるでしょう」
ドイツの大都市では、1960年代から90年代半ばまで地方に人口が分散していく傾向があった。90年代末から、ミュンヘンやフランクフルト、ケルンなど大都市で人口増と雇用増が進んでいるという。
「ドイツではこの15年ほど“大都市のルネッサンス”の状況が生まれています。旧西ドイツのみならず、ライプツィヒ、ドレスデン、ハンブルクなど旧東ドイツでも2000年代半ばから雇用増が進んできました。課題もあります。ドイツでは今後10年以内に労働人口の減少が進み、労働者の奪い合いが深刻化するでしょう。地域で働いてくれる若い人が減り、労働人口が経済成長の限定要因になるのです。日本も同じ悩みを抱えているのではないでしょうか」
ドイツの合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生む子どもの数)は1.38人、日本は1.41人だ(2012年)。アメリカに次ぐ移民大国であるドイツの人口は、2~3世まで含めると5人に1人が移民系を占める。日本は現在のところ移民受け入れに積極的ではないが、ドイツをモデルケースとして移民政策を検討し始めるべき時期がきているのかもしれない。