予測されていた通り、非常に高い成績を与えられた参加者らは、成績を低く報告することが自分のためにならないにもかかわらず成績を著しく低く報告した。一方平均的な成績を与えられていたグループは、報告する成績を大幅に変更しなかった。
非常に優秀な成績を与えられた学生に対し、低めに報告する傾向があった理由を尋ねると、「TAが成績を覚えていなかった場合、自分がこの機会を利用して成績を書き換えようとしていると思われるかもしれない」や「出来過ぎたことに思える」という答えが返ってきた。
この点はまさに正しいことだ。他の実験では、非常に高い成績を報告される側の認識を分析したところ、結果は芳しくなかった。参加者は、硬貨を投げたときに全て表が出た人と、表と裏が半々で出た人という架空の人物の倫理面を評価させられた。参加者はその結果、驚いたことに最初のグループを2つ目のグループと比べてはるかに非倫理的で正直さに欠けると評価した。
研究の著者のショーハム・ホーシェンヒレルは発表で「多くの人は自分の評判と、どのように他者に評価されるかをとても気にしている。うそをつくことで金銭的な代償がある場合でも、正直な人として見られるかどうかの懸念が実際に正直でありたいという願望に勝るかもしれない」と述べている。もちろん、研究に参加した全員が正直に見られたいからうそをついたわけではない。研究の著者らは、今後の研究ではこうした理由でうそをつく人とつかない人の性格特性の違いを分析すべきだと指摘している。
人が「良い理由」でうそをつく状況はこれだけではない。「向社会的なうそ」は、他者の感情や他者との関係保護のためにうそをつく現象だ。正直に話せば不誠実に見える場合に正直に見えるよううそをつくことも、これに関係しているかもしれない。
研究の著者らは「正直でいることが不審に思われる状況では、正直だと思われたい人はうそをついた方がよいかもしれない。私たちの調査結果からは、人はこの点に即座に気づき、それに合わせて時に、正直に見えるよううそをつくことが示唆されている」と述べている。