「チューブを外した、なら、殺したのと一緒だ」
逮捕後、A刑事はさまざまな言を弄して西山さんを取り込んでいった。裁判では西山さん本人が殺人を自白したことにされているが、後に西山さん本人から聞くところでは、彼女は「殺したとは言っていない」という。
連日の取り調べでうつ状態に陥り、どうして良いかわからずに、すべてを自分のせいにしようと「チューブを外した」と言ったところまでは本当だが、その後、刑事から「外したなら、殺したのと一緒だ」と言われて、反論できなくなり、あたかも自分が自白したかのような供述調書を書かれたのだという。つまり、供述弱者である西山さんが刑事に言いくるめられてしまっただけで、実態としては最初から否認事件だった。
否認事件で警察が行う常とう手段は、被疑者を密室で孤立させることだ。強引に自白を取ろうと、まずは接見禁止によって家族とさえ会うことができない状況に追い込む。続いて、留置所の被疑者と面会できる弁護人との信頼関係を壊すことだ。それによって、被疑者が取調官と弁護士の、どちらを信じていいのかわからない混乱状態に陥れるためだろう。
取材に答える西山美香さん=Christian Tartarello撮影
たやすくコントロールされる「供述弱者」。起訴後も続く取り調べ
西山さんも同じようなプロセスを経て、密室で取調官のA刑事と2人っきりの状況が連日続き、言いなりになっていった。それは、取調官にとって、西山さんがたやすくコントロールできる「供述弱者」だったからだが、起訴後も延々とその状況が続いたのであれば、異常な感じがする。
後で裁判記録を調べると、起訴から初公判まで、およそ2カ月の間に、A刑事は拘置所の西山さんに14回も面会していたのだ。
起訴後の取り調べについて、最高裁の判例では「捜査官が当該公訴事実について被告人を取り調べることはなるべく避けなければならない」と示されている。
自白が真実であれば、起訴後に取り調べる必要などないはずだ。後の公判で検察は西山さんが「他人から影響を受けやすい性格」だということを認めていながら、取調室という密室で作り上げた特殊な関係を利用し、起訴後も頻繁に面会をしたのは、裁判でも「うその自白」を維持させようという意図なのは明らかだった。
しかも、さらに驚いたことに、公判でそのことを追及されたA刑事は「上司や検事の了解を取って面会に行った」と証言したのである。これには、後に取材した元検事らも「検事がそんなことを認めるのは通常、考えられない。自白の信用性を失いかねない自殺行為だ」と驚いた。だが、一審の裁判はその点に釘を刺すこともなく、自白の任意性も信用性も全面的に認めてしまっている。いい加減なものだ。
再び、角記者との打ち合わせの場面に戻る。角記者から聞いて、仰天する話はまだあった。
角「僕が一番おかしいと思ったのは、供述調書がめっちゃ多いんですよ。30通以上だったかな。供述調書がそんなに多いなんて、僕も警察取材を長くやってましたけど、異常ですよね。普通はひとつの事件でせいぜい数通じゃないですか。30通を超えるなんて普通じゃないですよ」