人間いつ死ぬかわからないから|乳がんという「転機」#16

北風祐子さん(写真=小田駿一)


人間ドックの恐怖


2018年2月27日、人間ドックの恐怖。今日は年に一度の人間ドックの日。去年のこの検診で乳がんが見つかったので、今年も何か見つかるのではと、怖くて怖くてしかたがなかった。ここ2週間ほどよく眠れないのは、娘の受験が迫っていたからではなく、ひとえに検診が近づいてきたせいだ。

これも大病をした人なら誰もが通る道なのだろう。早期発見のために検診を受けるのだから、実際この検診のおかげで見つかったのだから、と自分に言い聞かせても、どうにもならない。どうしても怖い。怖がってもしかたないこ怖がるのは時間の無駄であるとわかっていても怖い。

このなんとも言えない鬱々とした感情を抱えて生きていくのだから、いよいよその他の余計な物事は断捨離しないと時間が足りない。たとえば8年ぶりの小学校の同窓会は、さんざん迷った末、行かないことにした。前へ進む時間が惜しい。引越準備も重なるし。

クラスのほぼ全員に無視された過去


早熟で多感、成績がダントツに良くて、明るいけど生意気な小学生だった。先生に答えがわかった人は?と言われて手を挙げると、常に一番早く挙げてしまうので、本気で挙げるのは、数回に一回に絞っていた。かわいくない小学生だ。

友達に誘われて児童館だと思って行った場所が学習塾で、そのまま体験したら授業がおもしろかったので、親に頼み込んで入塾した。「塾なんて勉強するところなのよ、わかってる?」と母はのんきだった。高層ビルが立ち並ぶそばにある、都会のど真ん中の小学校だったが、1970年代に中学受験する人は、まだ少なかった。

学校ではそれなりに楽しく過ごしていたが、きっと何かと鼻につく存在だったに違いない。団地の同じ棟に住んでいる同級生二人が、ある朝「虫かごしよう!」と言い始めて、いっしょに登校する道すがら、完全に無視された。その後、「虫かご」運動はじわじわと広がって、最後にはクラスのほぼ全員に無視された。なぜ「虫かご」かというと、虫が「無視」と音がいっしょだからだろう。くだらない。

ばかばかしくて放っておいたら、学級会の議題にのぼり、私のことを無視するのはやめようということになって、勝手に事態はおさまった。くだらない会話につきあわなくて済むからラッキー、と心の中では思っていた。そのまま無視してくれてもよかったのに。
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文=北風祐子、写真=小田駿一、サムネイルデザイン=高田尚弥

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乳がんという「転機」

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