何十年も前、日雇い労働者が多い街で外科医をしていたがそのころより今のほうが頻度が高い気がする。驚いたのは大学の先生でも脱法ハーブに手を出していることだ。その先生はやめられなくなり、記憶力が悪くなり授業に差し障りが出だしたといって来院した。学校も学生も何も知らない。
人生は定期的にストレスがやって来る。年をとってわかったがそれは、どんな人にも平等にやって来るようだ。どんなに恵まれているように外から見えてもだ。それは患者さんを診ていてよくわかる。他人の芝生が青く見えていた私は、その事実がだんだんわかるようになり、考えを改めるようになった。
それがわかる前、私も若いころは特にストレスに弱く眠れない夜をよく過ごした。しかし苦労して医師国家試験に通って研修医になり大阪の病院で働きだしたときのこと。当直した病院の薬棚に「抗不安薬」「安定剤」と書かれた薬箱があるのを見つけて喜んだ。「これで不安だらけの人生は終わる」と。不安なとき、不安定なときにはこの薬さえ服用すれば心が休まるはずだと。
しばらくして、内容は忘れたが不安に思うことが起こり、待ってました、とばかりに当直のとき、抗不安薬と書かれた薬箱から錠剤を取って恐る恐る飲んでみた。当時、病院は薬の管理は今ほど厳しくはなかった。
生まれて初めて抗不安薬を服用すると急激に眠気に襲われ、そのまま朝まで寝てしまった。起きると頭が重く不安に思う対象は当たり前のように存在していたし、結局薬が切れれば不安な心はそのままだった。がっかりしたことを覚えている。不安の対象は現実として重くしっかり存在していた。
私は現代医学が好きだ。もちろん合成薬もだ。患者さんにも現代の合成薬を普通に処方する。精神科分野でも同じだ。漢方外来に来る患者さんが他科で処方された薬は基本的に継続させる。精神科の分野でも自殺企図の患者など急迫する症状を落ち着かせ、心が自分の力で治るまでの間、その手の薬を服用するのは賛成だ。心の傷が治るのには、それ相応の時間が必要だからだ。精神科の薬のイメージは心の傷が自力で治るまでの間の絆創膏的な存在だ。
根本的な解決のためには自分の心を掘るしかないと思う。そして物事に対する心の反応を変えていく。自分の心を掘って観察した先にしか平安はない。その方法は体を動かす修験道であっても、座禅、公案(問答)であっても、自分で心を観察するだけでも効果があると思う。
目前の不安を避けるため、好奇心だけで習慣性のある薬を摂取してしまうのはやめてほしい。
桜井竜生◎1965年、奈良市生まれ。国立佐賀医科大学を卒業。元聖マリアンナ医科大学の内科講師のほか、世界各地で診療。著書に『病気にならない生き方 考え方』(PHP文庫)など。