「今こそニューディールに学べ」 著名キュレーターがアーティスト支援策を提言

ニューディール政策下、画家ジャクソン・ポロックもアーティスト雇用プログラムに参画していた (GettyImages)


1929年大恐慌時には、失業状態の芸術家を支援


ニューディール政策とは、1929年の大恐慌で停滞しきった経済活動に対し、政府が積極的な介入をおこなうことで、アメリカ経済の救済を図ったルーズベルトの経済対策だ。

工業、農業、商業、金融など広範囲で試みられたニューディール政策の例としては、農業調整法(AAA)や全国産業復興法(NIRA)、テネシー川流域開発公社(TVA)が有名であるが、オブリストが言及しているPWAPとは、後に失業者救済にあたった雇用促進局(WPA)の連邦美術計画(FAP)につながる、アーティスト雇用プログラムのことである。

オブリスト
スイス人キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリスト (GettyImages)

オブリストは述べる。「当時、芸術家たちは雇用促進局(WPA)を通じてコミュニティに参加していました。つまりニューディール時代には、彼らはそこから給与を得ることで、作品を探求し、創造していたのです。WPAは多くの芸術家たちに最初の仕事を与えたのでした」

アーティスト雇用プログラムを引き継ぐ形で組織された連邦美術計画(FAP)は、失業状態の芸術家を金銭的にサポートするだけでなく、芸術家の育成でも大きな役割を果たした。

当時ジャクソン・ポロックは、マーク・ロスコやアド・ラインハートらとともに、イーゼル画部門に配置され、学校や郵便局に飾る作品を月1枚ペースで製作していたそうだ。公共事業を通じて自分のキャリアを積むことは、当時よくあることだったのだ。

デボラ・ソロモン著『Jackson pollock A biography』によると、20世紀を代表する画家の一人であるバーネット・ニューマンは、父親の服飾業の手伝いで日銭を稼いでいたことを後悔し、次のように述べている。

「彼らと一緒にプロジェクトに参加しなかったことで、大きな代償を払うことになったよ。だって、みんなの目には僕が画家だという風にはみえていなかったのだからね」
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文=渡邊雄介

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