それを簡単に表現するなら、碁盤のような格子状の平面に碁石のように生物を適当に並べ、そしてそれぞれの目を取り囲む8つの目に他の生物がいくついるかによって、次の瞬間にその生物が“そのまま”か“誕生”するか“消滅”するかを決める、というだけのもの。
具体的なルールは、ある場所に生物がいるとして、周りに2つか3つの仲間がいれば、そのまま生き続けることができるが、1つ以下か4つ以上なら消滅する。またどこにも他の生物がいなければ、次の瞬間にはその個体は消える。また誰もいない目の周りを3つの生物が取り囲んでいれば、次の瞬間には新しい生命が誕生する。
つまり隣に仲間が1つ以下ならさびしくて生き残れないし、4つ以上でも過密になりストレスで死んでしまい、2つか3つなら助け合って快適に現状維持できるし、ちょうど3つなら子どもが生まれるというイメージだ。
こうして適当に碁盤上に並べた石を動かしてみると、とんでもない現象が起きた。まったくパターンが変化しない形や、チカチカ振動するように2つのパターンを繰り返すもの、どんどん形を変えながら移動していくものなど、まるでシャーレに入れた水面上を微生物やウイルスが増えたり消えたり動き回ったりするような予想不能の複雑な動きが生じたのだ。
https://bitstorm.org/gameoflife/ より
その動きがあまりに生物の生態に似ていたので、この名前が付けられた。生物の増殖も同じルールに従っているのでは、と考える生物学者も出てきた。
ゲームを行うために、いちいち床に石を並べて手で操作を行うのは大変だったが、学生たちはその動きの面白さに寝食を忘れて没頭し、ついにはコンピューターのプログラムを書いて自動的に動くようにした。
知能じゃなくて生命
この勝敗と無縁にずっと続けられるゲーム、というより暇つぶしのような遊びにはまった人は数多く、「タイム」などの雑誌も、このゲームの流行で企業や研究施設の「コンピューターが勝手に使われて大損害を生じている」と報じるまでになった。
クリス・ラングトンという学生もこのゲームの面白さに魅せられ、深夜に誰もいなくなったコンピューター室で勝手に遊んでいたが、突然このゲームの動きに「生命の本質がある!」という天啓を受けたという。
その後グライダーショーのバイト中に強風にあおられ墜落し、瀕死の重傷を負って入院していた彼は、生死の境をさまよいながら、生きていく意味を哲学から生物学、物理化学と広い分野の読書を通して模索するうちに、ライフゲームから得た思いを深めて、1987年に生命現象を情報科学的に解明する人工生命(Artificial Life: ALIFE: AL)というワークショップをロスアラモスで立ち上げた。
この会議には当時のコンピューター最前線で活躍するハッカーたちばかりか、ドーキンスを始めとした生物学者や人類学者、社会学者など広い分野の人々が集まり、生物の成り立ちのプロセスを研究することが、株式市場や大衆行動などのトレンド、人々のコミュニケーション、プログラム作りなどの様々な分野を横断するもっと広い知の技法であることが明らかになっていった。
コンピューターで人間の知的な論理をプログラム化して実行する、人工知能(AI)という分野はすでに1950年代からあったが、これはあくまでも脳を真似たものだった。しかしALは身体の存在を前提に理論化したもので、AIのような問題をすぐ論理で解決するスマートさより、複雑な環境に適応して生き残っていくもっと基本的な生命の力に注目したものだ。
ALによる処理では、生命が育つようにある条件から出発して、それらが育っていく状況をシミュレーションしてどういう結果が得られるかを想像するしかない。それはカオスや複雑系という分野で研究されているように、いくつかの初期条件を設定し、それらの関係で状態が変化していく様を探っていく手法だ。