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──こうした「生活圏」という視座に、今パンデミックという危機に直面した私たちは気づき始めていることかもしれません。

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『CITY BY ALL』。バルセロナ市のページから

そう思います。人が生きていくための最前線で働いている人たちの存在、「エッセンシャル·ワーカー」の存在の大切さに関心が集まりました。ドイツのモニカ・グリュッターズ文化相が「アーティストは生命維持に必要不可欠な存在」だと述べたことも日本では大きく注目されました。生活をもっと多面的に、もっと包括的に捉えなおさなくてはならない。今、その気づきは広がっていると思います。

しかし、こういう発想は、このパンデミック発生で生まれた新しいアイデアではないとも思います。ドイツでは、1990年代から社会的格差や分断を避け、都市の再生や新しい成長を目指す「社会都市プログラム」が地道に続けられてきました。その日常があって、今回のドイツ文化相の文化セクターの重要性を共有する発言があります。
他にも、新型コロナウイルス感染症が拡大する以前から、世界各地で公共空間を取り戻そうとする「プレイスメイキング」、歩行者や自転車のための道路空間へと再編していこうという「スローモビリティ」への転換などの取り組みは進んでいました。

日本でも、『持続可能性の実現(SDGs)』『society 5.0』という大きな潮流が形成されはじめてきています。これら全てに共通しているのは、「生活圏」としての質や豊かさを「日常」の中に取り戻そうという発想であり、その上に新しいエコノミーの可能性を見出そうとすることですね。

「余白」は無駄ではなく、未来への備えである


──今、「新しい日常」という言葉が広がっていますね。

言うまでもなく、新型コロナウイルス感染症によってもたらさせる社会環境の変化は確かにとても大きい。でも先ほど述べたように、何を「日常」と捉えるのか、これまでの「日常」とはなんだったのか、あるいはこれまでが「非日常」だったのかもしれない。そういう問いを持つこともとても大切だと思います。

「都市化」や「グローバル化」こそが問題だという声も多く聞こえました。しかし、「都市化」自体というよりも、「どのような都市なら、どのような生活環境なら、人は生きていけるか」。その計画理念にこそ問題があったのではないでしょうか。
「余白」や冗長性、「遊び」の部分を削り、究極の効率性と合理性を追求する経済性論理だけで作られてきた都市が、容赦ないアタックを受けた印象があります。ロックダウンされた都市空間で、緑地、公園、水辺といった多様な「オープンスペース」の大切さを私たちは誰もが思い起こしました。

今、「余白」は無駄ではなくて、未来への「備え」ではないかという声も広がっています。こうした「余白」を中心にした生活圏のデザインが今後さらに進むと思います。自然環境、社会環境、文化環境。そうした多面的な「生活環境」の中で、人は暮らしているということ。そして、そのような多様な立場を超えて協働しあうことが、『持続可能性の実現(SDGs)』だと思います。

確かに、それは手間暇がかかることだと思います。経済という一つの目的だけでなく、複数の目的変数を解こうとするには、そのための新しい発想や、知恵や技術も必要になるとは思います。しかし、制約条件があるからこそ、新しいアイデアが生まれる。そのためにも、都市を人間にとっての合理性や経済性にだけ基づく、いびつに切り取られた生態系としてでなく、多面性を持った「生活圏」としてとらえることで、初めて見えてくるものがあるのではないでしょうか。



鷲尾和彦
◎博報堂生活総合研究所「生活圏2050」プロジェクトリーダー。戦略コンサルティング、クリエイティブ・ディレクション、新規事業開発など幅広い専門性を通して、地方自治体や産業界とのプロジェクトに数多く従事。主な著書に『共感ブランディング』(講談社)、『アルスエレクトロニカの挑戦』(学芸出版社)等。

聞き手=石井節子

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