会食と乾杯、文化を育む「いただきます」という言葉

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新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中がとても大変な時期を迎えています。僕の住むヨーロッパは、例年イースター(復活祭)を前に春の訪れを喜ぶ季節ですが、フランスは3月17日から封鎖され、生活が制限される中で、多くの人が一早い収束を祈っています。

日本は4月から新年度。本来であれば入学式や入社式を迎え、歓迎会などの祝宴が増える時期です。残念ながら今年はそうした集いが叶わない状況ですが、視点を変えれば、あらゆる自粛で時間には余裕ができたという人も多いのではないでしょうか。

乾杯と「いただきます」


そこで、今回は、コロナによって激減してしまった会食について考えて見たいと思います。会食というとビジネスシーンでの食事と思われがちですが、それは、ビジネスに限らず「人と食事を共にすること」をさします。

これまでの感謝を伝えたり、新しい門出を祝ったり、良好な関係を築くためにもてなしたり……。目的はそれぞれ、会の規模がどうであれ、そこでつきものなのが「乾杯」です。主催側であれば誰に乾杯の挨拶を任せるのか? 逆に挨拶することになったら、どう盛り上げようかと頭を悩ませたりするものです。

そう、乾杯はその会食における一期一会のスタートであり象徴です。日本の代表的な乾杯は新年のお屠蘇で、その年の家族の健康などを祈念をします。結婚式など大規模な会では、人前で話をするのが得意な人による、やや社交辞令的な挨拶の場合も多いかと思います。

フランスではほとんどどんなシーンでも、「A votre santé(あなたの健康に)!」と言って乾杯します。中国人の会食では、食事中に何回するのかなと思うほど乾杯しますよね(苦笑)。

そして日本には、乾杯と同じように大事な音頭がもうひとつあります。「いただきます」です。ところが、会食においてこの挨拶を誰かが担うことはほとんどなく、食を仕事とする身としては、忘れられがちなのを寂しく思います。



以前、仙台で行われた大きなサミットを訪れたときのことです。復興で立ち上がった生産者さんたちの食材を使ったランチブッフェがあり、乾杯の挨拶はあったのですが、「いただきます」はありませんでした。

特に意味のある食材をいただく機会だっただけに残念に思い、同夜の乾杯の挨拶をされる予定であった当時の文部大臣に、皆で手を合わせて「いただきます」の挨拶をすることを提案しました。そして、500人ほどの宴会の場に「いただきます」の声が響きわたると、参加者がみな和やかな笑顔になっていました。
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文=松嶋啓介

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