「事件直後に会った二人は最初のせりふが『ありがとう』でした。『ありがとう』『中からは変えられなかった』と。『ありがとう』は本当に印象的でしたね」
検察は強固な上意下達の組織でありながら、不正な捜査手法をトップダウンで改めることができない実態を、その「ありがとう」が示していた。村木さんは「でも、検察のこと笑えないですよね」とマスコミにも批判の矛先を向けた。
「私の事件ではずっと検察に言われたままの情報を流し続けていました。ずっとです。保釈され、私への逆取材が始まった時期は各社バラバラ。ところが、報道の論調が180度変わるのは、ある日突然、全社一斉です。それぞれの新聞社やテレビ局が単独で変える勇気なんかない、ということです」
そんな状況を村木さんは「検察への完璧な迎合」と評した。組織といえども、すべては現場にいる1人からしか始まらない。だが、組織に属しながら、1人で冤罪を解く道を進むことは容易ではない。それが検察もメディアも同じだという村木さんの指摘は、その通りだろう。
獄中から西山さんが両親に宛てた手紙の一部
ある記者を起点に「個のつながり」が暴く
幸いにも、私たちが始めた連載「西山美香さんの手紙」には、1人の記者を起点に、そこから始まる「個のつながり」があった。
「ニュースを問う」の担当デスクをしている私が、西山美香さん(40)の手紙を知ったのは2016年秋のことだった。当時滋賀県政担当だった角雄記記者(37)と、別件で打ち合わせをしているとき「実はこんな話が」と知らされた。
彼は、私に会う1年以上前に両親を訪ね、手紙を見せてもらっていた。つたなさと、幼さが残る文面に「借り物の言葉ではない」と直感しながらも、その後、再審の訴えが大津地裁で棄却され、書くタイミングを失っていた。私も一読して「これは本物の冤罪だ」と思った。紙面化を半ばあきらめていた角記者に「ニュースを問う、に書いてみては」と促した。
角記者は「裁判で再審の判断が出ていなくても掲載できるんですか」と聞き返した。確かに、裁判で7回も有罪を認定された事件で冤罪を訴えるのは、難しい。報道は判決を客観性のよりどころとするからだ。だが、当欄は筆者の顔写真付き、署名入り。あくまで個人の主張という体裁を取っている。
そもそもメディアにとって、必ずしも裁判の結果がすべてではない。裁判は裁判、報道は報道。大切なのは、法廷にはない独自の情報と判決とは違う視点から「真実」を伝えることだ。手元にはすでに、記者とデスクが冤罪を確信した手紙の山がある。伝える努力をするべきだと思った。だが、手紙だけでは十分ではない。裁判では自ら殺人を「自白した」と認定されている。そこが、どうにも重かった。