自分には自分の知らない自分がある──野村克也流「結果」の出しかた

楽天時代の野村克也氏(Photo/Kyodo News/Getty Images)


「努力するしかない」。そう覚悟した野村さんは、合宿所の庭で誰かが200回素振りをしていたら、400回素振りをしました。誰よりも長くトレーニングを続けました。1軍なんて雲をつかむような話。ただ、努力は天才に勝ると信じるしかありませんでした。

実際、器用な選手ほど、コツコツとした努力は続かなかった。一方、野村さんは若いと多くなる遊びの誘惑にも、お金がなくて行けなかった。「人生は何が幸いするかわからない」と野村さんは言いました。

そして1歩1歩、少しずつチャンスをモノにして、1軍入りを果たすのです。

野村監督の運命を変えた言葉


野村さんが強調していたのが、次の言葉です。

「自分には自分の知らない自分がある」

なぜなら、野村さんは、野球を通じてこのことを実感することになったからです。まさに、まさかまさかの連続が起きたのです。

「まさかがあるのが人生なんです。自分の知らない自分は必ずいるんです」

後に、ベテラン選手を復活させる巧みさを評して「野村再生工場」と呼ばれましたが、野村さんは、こんな話をされていました。

「あるピッチャーは速い球を投げようとしゃかりきになって投げ込みをしていました。でも、誰もが速い球で勝負する必要はない。球が速くなければ、コントロールで勝負したらいい。なのに、そのための努力をしないわけです。要するに、努力の方向が間違っているんです。それをちょっと修正してやれば、結果は一気に変わる」

考え方が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。この原理原則を貫いたのです。

「考えもせず、ただ本能のままにやっていても結果は出ない。大事なのは、考え方なんです」

野村さんの出身地は京都府北部。筆者の出身地である兵庫県北部とは交流がありました。取材したとき、「実は豊岡の出身なんです」と伝えると、「おぉ、そうか豊岡か。高校時代に練習試合で行ったなあ」と懐かしそうに目を細められていました。

小さな町のまったくの無名校(京都府立峰山高校)から、日本を代表する選手、監督になったのが、野村さんでした。しかし、それは可能だったのです。野村さんが、「自分には自分の知らない自分がある」という言葉を信じて、努力を貫いたからです。

連載:上阪徹の名言百出
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文=上阪 徹

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