海外から熱い視線。若き眼鏡ブランドがこだわる東京の伝統技法

東京の伝統的な眼鏡製法を継承すべく、自社工場を立ち上げたメガネナカジマの代表 中島正貴


グローバルマーケットで強みを発揮


その美しさに目を奪われている横で、「実際のところ、効率が悪いので全然儲かりません」と中島さんは笑う。では、そこまでして自社での製造にこだわるのはなぜなのか。

「ブランドを立ち上げたときから、グローバルマーケットに打って出たいという思いがあって。それなら自社工場でという計画は最初からありました。世界的に大手が次々にブランドを買収していくなど、眼鏡が“ブランドビジネス”になっているなか、僕らみたいな規模のブランドが海外に出ていくなら、クオリティの勝負となる。鯖江の名を出しても、海外ではその存在を知らない人も多いなかで、もう単に“メイドインジャパン”というだけで通用する時代はとっくに終わったと思います」

職人が眼鏡を作る様子
自社工場では、伝統の技法を持つ数少ない職人が眼鏡を1本ずつ丁寧に仕上げていく

さらに、自社工場の強みは、少量多品種に対応できることだ。たとえば欧米人とアジア人では鼻の高さや骨格に違いがあったり、サイズの好みなども異なることが多い。しかし自社で作るとなればフレキシブルに対応でき、ローカライズも可能となるわけだ。こうした取り組みが奏功し、じわじわとではあるが着実に、海外での販路を開拓しつつある。

眼鏡ブランドの新たなスタイルを確立


これまで眼鏡のブランドを立ち上げるとなれば、鯖江や海外の工場に生産を依頼するか、自分で手作りをするか、といったその極端な2択しかなかったなかで、新たな道を切り拓いたグルーバー。それゆえ中島さんは、眼鏡業界では異端な存在として語られることが多い。

grooverのさまざまな眼鏡の写真

しかし、自らデザインした眼鏡を目の届く範囲で生産し、お店では一人ひとりのお客さんに向き合う。こうした姿は、むしろ至極まっとうにも感じられる。それに、“東京の眼鏡作り”を継承しているという点で、文化的にも意義のあることでもある。

眼鏡業界の話題において、売上高や店舗数といった規模ばかりで語られるとき、眼鏡そのものの話が置いてきぼりにされていることに、眼鏡ライターとしてどこか虚しさを覚えることも少なくない。今後もより多様な店、ブランドの在り方を紹介していきたいと思う次第だ。

文=伊藤美玲

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