海外から熱い視線。若き眼鏡ブランドがこだわる東京の伝統技法

東京の伝統的な眼鏡製法を継承すべく、自社工場を立ち上げたメガネナカジマの代表 中島正貴

日本の眼鏡産地といえば、鯖江市を中心とした福井県。現在は国内眼鏡生産の約9割をこの地が担っているが、かつては東京にも眼鏡工場が存在していたのをご存知だろうか?

東京の伝統的な眼鏡作りを復活させるために


2011年に、東京で最後となる工場が閉鎖した。今も金枠やべっ甲などを扱う小規模な眼鏡工房は残っているものの、東京での眼鏡作りは実質的に一旦幕を閉じた。しかし、その伝統を受け継ぐ工場が2015年に横浜で産声をあげる。設立したのは、神奈川県川崎市にある眼鏡店「メガネナカジマ」の代表である中島正貴さんだ。

中島さんは家業である眼鏡店を継ぎ、オーナーとして現在も店に立ちながら、2011年に自身のブランドである「GROOVER(グルーバー)」の本格展開をスタート。国内はもちろん、アジアを中心に海外展開も果たし、生産数の半分以上が輸出されている。近年では北米での展開もスタートしたところだ。

個人の眼鏡店発のブランドが海外進出を果たすだけでも稀有な話だが、自社工場まで設立したと聞いたときには、大変驚いた。

「今でこそ眼鏡の産地といえば福井ですが、そもそも福井の職人に眼鏡作りを教えたのは、東京と大阪の職人たちなんです。東京の伝統的な眼鏡作りは合理化されておらず、鯖江に比べても手仕事が多いのが特徴。その仕上がりは、国内最高レベルです」(中島さん)

tokyo blackというメガネの写真
groover tokyo black|深淵の黒と見事な形状が仕事の確かさをうかがわせる

中島さんがこだわるのは、東京の伝統的な製法を受け継ぎ、その魅力を国内はもとより海外にまで広めることだ。そのため、工場設立にあたっては、先に触れた東京最後の工場で工場長を務めていたこの道50年の熟練職人を招き入れ、今では製造されていない昔ながらの機械を揃えた。そのため、通常の手法であれば月産1000本は可能なキャパシティをもちながら、実際のところは300~500本がやっとだという。

エッジと滑らかな面を巧みに織り交ぜて磨かれたフレームは、その美しい質感によって存在感がいっそう際立つ。まさに工芸品の域だ。
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文=伊藤美玲

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