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私が女優シリーズを手がけていた1995年前後は、つけマツゲなどというものも、演劇の専門店にいかないと入手できなかった。

1点が1500円とか2000円で、使い捨てのメイク用品としては、それなりの値段であった。ところがいまでは、つけマツゲなど、100円ショップで子どもでも手軽に買える時代なのである。

私の女優シリーズでは、ロングブーツが必要となる場面が何度もあったが、つけマツゲ同様、当時それはふつうの靴屋さんには置いていなかった。厚底ブーツの時代が、そのすこしあとでやってくるのだが、当時はさほど流行しておらず、さてどこにいけば手にはいるのだろうかと、あちこちをさがしまわった。Google検索はまだ存在していなかった。

結果やっと各種のロングブーツを置く店にいきあたった。SMショップだった。そういう特殊な店でしか見つけられなかったヒールの高いロングブーツも、しかしいまでは表通りのショップやネットショッピングで、簡単に手にはいる。

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森村泰昌《セルフポートレイト・女優/バルドーとしての私》1996年

以上、思い出めいたいくつかのエピソードを話したのは、けっしてむかしの苦労を披瀝したいからではない。そうではなく、20年ほどまえまでは困難だった変身願望の実現が、いまではいとも簡単に可能となる環境がととのい、おおくの人びとが、プリクラからはじまったコスプレや自撮りを手軽に楽しめる時代になったという現状を、私なりに再確認したかっただけである。

自画像の世界には、どこまでも大上段にふりかぶって物申すというようなところがある。それにくらべ、自撮りの世界は、手軽でカジュアルな楽しみとして、世の中の常識となりつつあるようである。

いまを生きる知恵


むろん、手軽で、カジュアルな、楽しい遊びだからといって、自撮り文化が軽薄だと断じてしまうのは、あまりに短絡的であろう。そのことを鳥原氏も、『写真のなかの「わたし」』の最後で語っている。

「一方で現実といえば、ことに若い世代にとっては、安定した繋がりを得にくい社会となっています。1990年代の初めまでは、学校を卒業したのち、企業に正社員として勤めて、定年までそこで働き続ける。あるいはどこかで結婚して家庭を築き、伴侶と添い遂げるというライフコースが一般的と見なされてきた。そこに落ち着くことで、多少の窮屈さはあっても、安定を求めやすかった」

1990年代はじめなら、まだかろうじて日本の経済成長がつづいていた。しかしやがてバブルが崩壊し、世の中のありかたがガラリとかわる。世界は不動ではなく意外にもろいという事実が、いまさらながらではあるが、あらわになる。

森村泰昌著『自画像のゆくえ』(光文社新書)の一部を再編集

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