かつて「糸もニットも知らない人間」と呼ばれた創業家の4代目・佐藤正樹が、どうやって世の中にない糸を次々と生み出し、ニットの歴史を塗り替える存在に成長したのか。そのプロセスを知ることは、逆境に直面するすべての企業にとってビジネスのヒントとなるはずだ。
その物語はすでに、ハッピーエンドを迎えたように見えていた。
1932年に羊を飼うところから始まった紡績工場でつくられたモヘアが、2009年、米国の大統領就任式でファーストレディが羽織った、フランスの有名ブランドのカーディガンに使われていた。世界中の人々が注目する晴れの舞台で、オートクチュールではない、それもニットを着るというのは前代未聞。ただ、そのカーディガンは輝いていた。
それまでモヘアはアンゴラ山羊の毛1gを30mほどに伸ばすのが限界とされていたが、「風雅」と名付けられたそのモヘアは44mと、繊細で優雅。ファーストレディはアフリカ大陸にルーツがある。そしてそのモヘアは、紡績工場の4代目が、南アフリカで見つけて惚れ込んだアンゴラ山羊の毛からできていた。
この年、会社は第3回「ものづくり日本大賞」の製品技術開発部門で経済産業大臣賞を受賞した。地方の小さな会社のサクセスストーリーとして、十分なエンディングだ。しかし、創業家の4代目・佐藤正樹は、そこを最終ページにするつもりはなかった。
佐藤繊維は、山形県寒河江市に本社と工場を置く、ニットの会社だ。毛糸の紡績も行うし、編立、縫製、さらには自社ブランドでのニット製品の販売も行う。例えば、地元の郵便番号からその名を付け、16年に立ち上げた「991」ブランドのジャケットは、縫製箇所を極力減らし、編みだけで綺麗なシルエットに仕上げ、立体設計で型崩れもしにくい。
発表直後、アメリカを代表するハイブランドから「この佐藤繊維とはあの、糸で有名な佐藤繊維なのか」と前置きをされたうえで、ジャケットのOEM提供を持ちかけられた。
佐藤は、相手が首を縦に振らないことをわかっていて「ダブルネームなら」と条件を付け、話は立ち消えになった。「経営者としては、よくない判断ですよね」と言うのだが、佐藤繊維が独自の成長を遂げたのは、目先にとらわれない判断を、随所で重ねてきたからだ。