犯罪を犯してまでも女がすがった希望と、運命の贈り物

『題名のない子守唄』主演のクセニア・ラパポルトとジュゼッペ・トルナトーレ監督(Photo by Chris Jackson/Getty Images)


現在進行形のドラマにおいて、ふとしたきっかけからイレーナには度々フラッシュバックが起こる。

ベッドで男に激しく痛めつけられる全裸の女、同じような境遇の女たちが詰め込まれた車、金のペンダントをつけた組織のボスと思しき男。それらから、売春斡旋の闇組織に取り込まれ、長らく性暴力に遭い、搾取されていたというイレーナの過去が浮かび上がってくる。

同時に、幸せな回想も登場する。路傍でうずくまるイレーナに、若い男が差し出したイチゴ。「君をいつか地獄から救い出す」と約束してくれた彼。だが前後して挿入される、ゴミ集積場で必死になってゴミの山を掘るイレーナの姿は、何を意味するのだろうか。


アダケル家は金細工を製造販売する一家で、高級アパート内にはアダケル夫人専用のアトリエもある。イレーナを家政婦として採用した夫人は理知的な美人だが、夫との仲は冷え冷えしている。

両親の喧嘩を盗み聞きして沈んでいる幼い一人娘テア。彼女の世話をイレーナは任され、最初のうちこそ警戒するテアとの間に緊張が生じるものの、次第に打ち解けて心が通い合うようになる。邦題の「題名のない子守唄」とは、イレーナがテアの枕元で歌って聞かせる歌のことだ。


アダケル夫妻役のクラウディア・ジェリーニ(左)とピエルフランチェスコ・ファヴィーノ(右)、テア役のクララ・ドッセーナ(中央)(Photo by Chris Jackson/Getty Images)

アダケル夫妻の信頼を得て、テアもすっかり懐いたあたりから、物語は不穏な様相を帯びてくる。それまではイレーナの行動の謎に焦点が当たっていたが、今度は彼女自身に危険が近づいているサインが現れ始め、それは唐突かつ非常に暴力的な形で彼女を打ちのめす。

つまり後半は、前半でフラッシュバックとしてのみ描かれていた過去の暴力が、現実に回帰してくるのだ。

自分を倒した者にはやり返すべきだ


この暴力は連鎖的に、イレーナとテアのシーンにも浮上する。テアには転ぶと自力で立ち上がれないという持病があり、それが元で学校でいじめに遭ったりしているが、イレーナはある訓練を彼女に課すことで弱点を克服させようとする。

手足の自由を奪ったテアを何度もベッドに転ばせては、「一人で立つのよ」と叱咤激励するイレーナ。彼女自身、過去に受けた暴力から立ち上がってきたという自負はあろうが、それだけでここまで余所の子供に厳しくなれるのか、訓練とは言え虐待にならないか? という不安さえ過るこの場面は、見ていて辛くなる。

負けまいとして泣きながらも立ち上がり続けるテアは最後に、自分を押し倒すイレーナへの反発から彼女の顔を叩く。「自分を倒した者にはやり返すべきだ」という教えが通じたと知ったイレーナがテアを抱きしめたところで、二人の間には単に「家政婦と面倒を見てもらう子供」を越えた、強い信頼関係が成立したことがうかがえる。

アダケル家にも実害を及ぼし始めた、過去からやってきた禍々しい暴力と、いよいよ対決せざるを得なくなったイレーナ。やがてすべてが語られる中でイレーナの行動の謎は解け、私たちは彼女が味わってきた体験の壮絶さと、その中で彼女がすがろうとした儚い希望に息を呑む。

その希望はあっさり砕かれ、イレーナは底知れない失意の中で、罪の償いと反省の長い年月を過ごすことになる。しかしそれをやっと乗り越えたところに、運命の贈り物は待っていた。

多大な犠牲を払って心から求めたものは手に入らない。まったく思いがけないかたちで“それ”は与えられるのだ。

連載:シネマの女は最後に微笑む
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文=大野 左紀子

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