アートやファッションの展覧会を裏から支える夫婦の物語

「亜洲中西屋」の中西多香社長と大輔副社長


多香氏は、3年の別居を経て2000年(38歳)に帰国。「今考えると、ちょうど良いセパレート期間だった」というその間に、多香氏は香港・シンガポール・タイ等でネットワークを構築。大輔氏は文芸の世界で作家やアーティストと仕事を通じてキャリアを形成。お互いが自分の好きな世界に没頭することで、「亜洲中西屋」の礎ができていった。

とはいえ、帰国してからも「2人で一緒に仕事することは想像していなかった」ため、多香氏は香港で感じたアジアのエネルギーを伝えるべく、フリーのライターやコーディネーターとして活躍。『美術手帖』や『デザインの現場』に執筆し、2005年には、香港のアートやカルチャー事情をまとめた書籍『香港特別藝術区』 を出版した。


『香港特別藝術区』(技術評論社)の中面 画像提供:亜洲中西屋

一方、大輔氏は「40歳を機に編集職から離れてみよう」と、同年に新たな仕事にチャレンジする。「高校時代からファンでもあり、付き合いもあった」という作曲家/サキソフォン奏者の清水靖晃から「一緒にバンド(仕事)やろうよ」と誘われ、清水の会社「サテト」に入社してマネージメント業に携わった。

その後、2007年にマーブルトロンに入社。1年5カ月という短い期間だったが、マーブルブックスの出版部長として50冊を超す単行本のディレクションや編集を行う。そのなかには、猫ブームのはしりともなった『まこという名の不思議顔の猫』等のヒット作もあった。

出会ってから21年、ついに協業


多香氏が香港アートセンターやシンガポール国立博物館等の展覧会企画に携わるようになり、フリー(個人)のキャパを超えてきた頃、「もっと日本をアジアに紹介したい。アジアの魅力を日本に伝えたい」という思いも一層強くなり、自然と「2人で一緒に仕事しよう」と、亜洲中西屋を立ち上げた。2008年、出会ってから21年目のことだった。


田名網敬一展 PHOTO:TAKAMURADAISUKE

その後、田名網敬一&ファンク展(2010年)、スパイク・ジョーンズ展(2011年)、アンリアレイジ展(2012年)、絶命展(2013年)、アンダーカバー展(2014年)など、国内外で毎年のようにファッション&アート好きに刺さる展覧会を企画してきた。

アンダーカバー展 
アンダーカバー展(c)2014 PARCO MUSEUM / TAKAMURADAISUKE

一方で、ルイ・ヴィトンからは制作物を評価され、草間彌生とコラボレーションした特装本(2012年)を手がけたほか、東京ステーションホテルで開催した「Timeless Muses」展(2013年)、紀尾井町で実施した「Volez, Voguez, Voyagez – Louis Vuitton」展(2016年)等の印刷物のプロダクトディレクションを担当した。

今年に入ってからは、渋谷パルコのオープニング企画展のグループ展「Wanderlust」を担当。ヴィヴィアン・サッセンら海外の大御所から国内の若手アーティストまでピックアップし、ファッション、ドローイング、音楽、写真が融合する、亜洲中西屋ならではの展示を実現した。

個の力が磨かれてこそ


2人をインタビューをしている時、互いに情報を補足するように話に入ってくるのが印象的だった。そのサポートがアウトプットを充実させてるように、普段の生活や仕事もそうして支え合っているのが想像できた。

夫婦というと、一般的には、夫か妻かいずれかのプレイヤーをもう一方がサポートするようなあり方が多いかもしれない。そんな中、極めた個の力を組み合わせて協業する中西夫妻の姿には、新しい夫婦やビジネスの形のヒントが垣間見えた。

連載:砂押貴久のエモーショナルライフ
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文=砂押貴久

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