東京には、渋谷PARCO、DIESEL ART GALLERY、BOOKMARCなど、ファッションとカルチャーを掛け合わせたアートスペースが数多くある。そこで開かれる展覧会は、各施設の担当者だけでなく、ときに外部の力を借りて実現している。この10年、その“外部の力”として、アジアや東京を股にかけて活躍しているのが亜洲中西屋だ。
これまでに、「ルイ・ヴィトン」「トーガ」「アンリアレイジ」などのファッションブランドをクライアントとして様々な企画コーディネートを担当するかたわら、スパイク・ジョーンズ、田名網敬一、レスリー・キーらの展覧会を企画制作してきた。また東京2020公式アートポスターを発表したテセウス・チャンやアート集団のファンクなど、アジアの著名アーティストと契約し、日本におけるエージェンシー機能も果たしている。
スパイク・ジョーンズ展 THERE ARE MANY OF US - I’M HERE, 2011(c)DIESEL ART GALLERY PHOTO: TAKAMURADAISUKE
アカデミックで十分に専門的でありながら、業界の枠にとらわれないフレキシブルさもある亜洲中西屋は、どのように形成されてきたのか。そのベースには、好きなものを極め続けた“個の力”が組み合わさった“夫婦の力”にあった。
出会ってひと月で交際、1年後に結婚
1962年生まれで上智大学外国語学部卒の多香氏と、1965年生まれの慶應義塾大学法学部卒の大輔氏。2人の出会いは、ユー・ピー・ユー(UPU)という伝説の会社だった。
この社名に聞き覚えのある人は少ないかもしれない。フォーブスの読者なら、東京都副知事(元ヤフー代表取締役社長)の宮坂学氏が「毎日新聞の内定を断って就職した会社」と言えば、なんとなく凄さが伝わるだろうか。または、京都大学の学生が中心となった大学新聞連合(ユニバーシティ・プレス・ユニオン:UPU)を元に設立した会社といえば、興味が湧くだろうか。
ファッションが好きな人に伝えるとすれば、カルチャー誌「i-D JAPAN」や世界最古のメンズ誌「エスクァイア」の日本版を創刊した会社と言えば、心が躍るだろうか。
とはいえUPUは出版社ではなく、「リクルートのような採用PRのベンチャー企業だった」というのだから、異質な立ち位置だったことがわかる。「社員1人1票形式で、毎年投票制で社長を決めていた」というぶっ飛んだエピソードもある。
1980年代、典型的な「YMOとニュー・アカデミズム世代」だった2人は、思想家の浅田彰らが責任編集をしていた雑誌「GS」の発行元であるUPUの面白さに惹かれていた。
UPU時代。左から多香氏、大輔氏 画像提供:亜洲中西屋
当時、2学年上の多香氏が「エスクァイア日本版」の創刊準備をしているところに、大輔氏が入社。出会ってひと月で交際が始まり、1年後に結婚(多香氏:26歳、大輔氏:24歳)した。デートは美術館や映画、レストランへ出かけ、「お互いの収入は知らなかったけど、共有口座に毎月決まった金額を入金して生活していた」という。