※本記事は2019年4月に掲載したインタビュー記事に加筆・修正を加えております。
日本で起業するという選択肢はなかった
──日本人3人で起業したにも関わらず、なぜシリコンバレーで起業することを選ばれたのでしょうか?
私は元々、米レッドハット社でオープンソースのOSを販売していました。共同創業者でCTOの太田もHPC(ハイ・パフォーマンス・コンピューティング)のエンジニア、同じく共同創業者の古橋もデータテクノロジーのエンジニアです。
3人に共通しているのはエンタープライズ向けサービス、しかもOSなどの非常に低層ソフトウェアの専門家だということ。
これらのソフトウェアマーケットにおいて「世界標準」が日本から生まれたことは過去にありません。例えばOSひとつとってもWindowsやMac、Linuxなど、ほとんどが欧米発です。同様にCPUやデータベースも欧米が主導権を握っています。
我々が専門とするエンタープライズ向けソフトウェアで起業する上では、アメリカのマーケットシェアを取らないと、世界マーケットは取れない。日本で起業するという選択肢は最初から私たちにありませんでしたね。
──創業と同時に北米の投資家から資金調達に成功されています。
最初から「50万ドル資金調達できたら創業しよう」という条件を決めていました。
三井物産のベンチャーファンド時代に知り合った方々にピッチして回る中で、黒崎守峰さん(IT-Farm代表取締役)に紹介いただいたのが、様々な勃興期のテクノロジーに精通し、のちに弊社のボードメンバーにもなっていただいたBill Taiでした。彼は20社近い企業をIPOに導くなど、シリコンバレーでも著名なベテランベンチャー投資家です。
紹介してもらったその日のうちに会いに行き、ファンドレイズ用のピッチをしましたが、その場ではすぐに投資を決めてもらうことはできませんでした。技術やビジネスプランは認めてもらえたものの「Go To Market(GTM – 営業・マーケティング・ディストリビューション)はどうするのか」とかなり突っ込んで問われたことを覚えています。
その後、プランを練り直してピッチをしに行ったところ、その場でタームシートを書いてくださいました。結果的にBillと黒崎さんが共同出資という形で50万ドルの出資を決めてくれたのです。
シードラウンドの投資家界隈では、シリコンバレーにもやはりクラブディール的なところがあって、Billからの出資が決まってからはほとんど断られることがなくなり、合計で100万ドルを調達することができました。