ビジネス

2020.03.20

リード・ヘイスティングスが「ネットフリックス」を世界的企業に成長させるまで

ネットフリックスCEOのリード・ヘイスティングス(Getty Images)

1億5000万人超のユーザーを抱える動画配信サービス「ネットフリックス」の共同創業者、CEOのリード・ヘイスティングス。

ヘイスティングスの功績を、ネットフリックスの軌跡とともに辿る。

ネットフリックス創業者リード・ヘイスティングス


リード・ヘイスティングスは、1960年、ボストン生まれ。裕福な家庭で育ち、マサチューセッツ州ケンブリッジにある幼稚園から高校までの一貫校「バッキンガム・ブラウン&ニコルズ」に進学。ボウドイン大学では数学を専攻していた。

大学卒業後の83年には、非営利団体の「平和部隊」に入隊。数学教師としてアフリカ南部のスワジランドで3年間ほど過ごした。帰国後はスタンフォード大学大学院に進学し、コンピュータ科学分野の修士号を取得。

その後、IT企業「アダプティブ・コーポレーション」でソフトウェア開発などを担当していた。

共同創業者マーク・ランドルフとの出会い


91年、ヘイスティングスは「ピュア ソフトウェア」を創業。ソフトウェアのバグ修正ツールを主力商品とし、4年連続で売上は前年比倍増を記録。右肩上がりに成長し、95年には株式上場を果たした。

翌96年に、マーク・ランドルフが率いるソフトウェア会社「エイトリア&インテグリティ」を買収。これが後にネットフリックスを共同創業するランドルフとの出会いとなった。

しかし、97年には売上が低迷していたピュア ソフトウェアは、競合他社に買収されることとなる。この買収によってヘイスティングスは持ち株を7.5億ドルで手放し、経営から退いた。

ネットフリックスを設立


ヘイスティングスとランドルフが目をつけたのは、オンラインビデオレンタルだった。当初は、当時主流だったVHSでレンタル事業を行う想定だったが、1本あたりの単価が高額で、厚くかさばるために郵送代も大幅にかかるというデメリットがあった。

そこで、新しいディスク規格であるDVDを使用すれば、コスト面や配送面の壁を乗り越えることができると考えた2人は、「オンライン注文からDVDを郵送でレンタルするサービス」を展開することを決意。

ランドルフがCEOに、ヘイスティングスがエンジェル投資家として出資する形で97年にネットフリックスを設立した。

サービスをローンチすると、わずか90分でサイト訪問者数の多さにサーバーがダウン。サイトが復活すると大量の注文が舞い込み、再びサイトがパンクするほどの好スタートを切った。

順調に業績を伸ばしていたが、98年に行った無料キャンペーンによって資金が底をつき、財政難に陥った。その状況を立て直すべく、ヘイスティングスがCEOに就任。

無駄な業務を切り捨て、最速で大きな結果を出すための経営が功を奏した。ヘイスティングスが経営の指揮をとるようになってからは、少しずつ業績も回復。他企業からの信頼も高まり、業務提携や巨額の資金調達ができるほどに経営状況も好転した。

当時から「動画ストリーミングの波が到来する」と予測していたヘイスティングスは、中核事業だったDVDレンタルサービスを、2007年にストリーミング配信サービスに本格的に移行した。

オリジナルコンテンツ制作


ヘイスティングスが、ネットフリックスを世界的企業へ成長させた秘訣のひとつに、ハリウッド作品などの有名作品だけでなく、多言語、多国籍化を意識し、幅広い興味関心に基づいて多様なコンテンツを自社で制作したことが挙げられる。

多岐にわたるコンテンツがあることで、ユーザーは自分の好みに合った作品を見つけることが可能になった。

いまやアップルやアマゾン、フールーなど、各社がオリジナルコンテンツの獲得と開発に多額の資金を投入し、競争は激化している。ネットフリックスも18年には120億ドル、19年には150億ドルを投入してコンテンツの半数を自主制作している。

19年のアカデミー賞では、ネットフリックスのオリジナル作品が計15部門で、20年には計24部門でノミネートされるなど、その質の高さも多方面から獲得している。

文=池原裕美 写真=gettyimages

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