ライフスタイル

2020.03.13 18:00

さらば乳がん、とする。|乳がんという「転機」#13


息子の部活、最後の大会に思う


2017年6月12日。息子Kの中学バスケ部、最後の大会が始まった。

初戦突破! 大接戦を再逆転して勝った。息子も「接戦で勝ったのは初めてかも」とうれしそうだった。私が検査だ、手術だ、入院だとバタバタしている間に、息子はバスケがうまくなっていた。もともと得意なディフェンスはもちろんのこと、スリー3本、ほかにもシュートを決めて、キャプテンにふさわしいナイスプレーだった。ドリブルも別人のようにリズミカルでスピーディ。相手も強かったが、チーム全員が、常に強気で、自信に満ちていた。

バスケを始めてから2年で、よくぞここまできた。明けても暮れても練習してきた努力が、ちゃんと開花したね。よくがんばった。最初に決めたスリーなぞは、投げた瞬間に入るとわかったそうで、軌道を最後まで確認せずに、振り返って走り出していた。

試合前、会場に着くまでは、生きて試合を見られるだけでもありがたいと思っていたのだが、いざ試合が始まると、我ながらまるで阪神ファンの応援だった。「ほらリバウンド! K! リバウンドとれよ!」といった感じ。隣の上品なママがドン引きしてしまっていた。

その後も力を出し切って、区で3位となり、息子は中バスを引退した。親子の打ち上げでは、会の最後にママたちから花束をいただいた。キャプテン母の仕事お疲れさまでした、とのサプライズ。息子から「3年間ありがとうございました」と手渡された。うれしかった。

皆さまも、ほんとうにお疲れさまでした。毎日の朝練5時起き、試合の応援、差し入れの飲み物の買い出し、うちわ作り、ビデオ撮影、写真撮影、総会準備、とにかくバスケ部漬けだった。唖然呆然の仕事の多さ。お互いよくがんばった! 子どもに振り回された2年間、あたたかくて個性的なママたちと、楽しい日々だった。これからもよろしくね。

小林麻央さんの「浪漫飛行」


2017年6月22日。息子が帰宅するなり、「小林麻央さん、亡くなったんだって!」と駆け込んできた。

母親の病気が死につながる病であることを、よりはっきりと理解してしまったのだと思う。これまで私の病状について、息子には簡単にしか説明してこなかったが、必要以上に心配してしまうことを避けるためにも、きちんと説明するときが来たと感じた。息子は、黙って聞いていた。

私は、同じときに同じ病気になったこともあり、小林麻央さんのブログを毎日欠かさず読んでいた。いちばん心に残ったのは、彼女が2017年4月13日に書いた「浪漫飛行」という文章だ。
次ページ > 魂が納得する境地

文=北風祐子、写真=小田駿一、サムネイルデザイン=高田尚弥

タグ:

連載

乳がんという「転機」

ForbesBrandVoice

人気記事