ビジネス

2020.03.31

日本の停滞を招く「給与は、職場での苦しみの対価」という考え方

厚生労働省がまとめた「体罰の指針」に対して世間から大きな反響があったのは記憶に新しい。しかし、「(教育上)やむをえない」と容認する姿勢が仕事にも影響している、と筆者は説く。


親による子どもへの体罰を禁止する改正児童虐待防止法が2020年春に施行されることを受け、厚生労働省が体罰とされるものをいくつか例示した指針案を公表した。それは以下の通りである。

1. 口で3回注意したけど言うことを聞かないので、頬を叩いた
2. 大切なものにいたずらをしたので、長時間正座をさせた
3. 友達を殴ってケガをさせたので、同じように子供を殴った
4. 他人のものを盗んだので、罰としてお尻を叩いた
5. 宿題をしなかったので、夕ご飯を与えなかった

読者諸賢は、これをどのように感じただろうか。

ここに書かれていることは明らかに虐待である。ところが、「このような内容が体罰であれば母親をやめざるをえない」という記事に、共感のコメントがあふれかえった。子どもの権利保護を目的に活動するNPO「セーブ・ザ・チルドレン」が行った子どもに対するしつけのための体罰等の意識・実態調査では、日本人の6割近くが体罰は「やむをえない」という結果が出ていた。



これは本当に恐ろしい。日本は想像以上に“体罰大国”なのだ。私がフェイスブック上で「やむをえない」とする考え方に対しての違和感を書いたところ、「そのようなきれいごとでは物事が進まない」という意見がかなり多く寄せられた。

また、女性に同情する意見も多かった。育児が母親任せになっているのでストレスが過剰になり、体罰をしてしまう──。一般論として体罰は悪いが、それをしてしまう事情には共感できるので体罰をしてしまう人を非難するな、という論調が目立った。

ただ、ストレスにあふれる育児事情と、体罰は明確に分けて考える必要がある。そこをつなげてしまったら、体罰の口実を与えることになりかねない。

もし自分が高齢になり、行動や判断が不正確になったとき、“しつけ”という名目で、自分の子どもや介護をしてくれる人に頬をぶたれたり、殴られたりすることを容認できるだろうか? もし容認できないとしたら、なぜ子どもに対しては容認すべきだといえるのか? それこそ、力が弱いものに対する強者の抑圧そのものではないか。
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文=藤野英人

この記事は 「Forbes JAPAN 2月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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