復興は誰のため?「最後のひとりが仮設住宅を出るまで」石巻で新聞を配る編集長が拾う声

3年ぶりに再会した岩元暁子さん。スヤスヤと眠る息子を抱えて現われた =都内で撮影


「まさか借家で死ぬことになるとはね」


「復興住宅では失敗できない」「人と近しくなるのが怖い」という言葉だ。

仮設住宅とは違って、終の住処になるかもしれない場所だ。「仲良くなるから嫌いになる。挨拶などたいした会話しかしなければ、嫌いにはならないだろう」という人もいる。だからこそ、復興住宅(災害公営住宅)での人間関係は失敗できないというのだ。そんななかで「集会所を使おう」と周囲に働きかけができるのは、一部の人なのかもしれない。

都会であれば、マンション暮らしに慣れていて、そこまで人付き合いについて気にする人もいなければ、隣近所同士が会話をしないのも当たり前のように感じるだろう。だが、石巻の人たちにとっては、元々近所づきあいが濃密だからこそ、悩ましい問題なのだ。

70代、80代で再び家を建てるのが難しい被災者も多く、「まさか借家で死ぬことになるとはね」と聞くと、岩元さんはいつも寂しい気持ちになる。

震災前のコミュニティを引き継いだ団地もあるが、点在する地域から集まってきた団地も多い。「石巻の人は贅沢だ」という人もいるが、岩元さんは「石巻の人たちにとっては持ち家が重要。そんな価値観に寄り添いながらも、うまく運営している例を参考にしてもらいたい」と語る。

復興住宅を訪問して石巻きずな復興新聞を配る岩元暁子さん

マンションタイプの災害公営住宅では、半年から1年ほどたっても、都会と同様に隣の住民の顔を知らない人もいるという。またエレベーターホールで会ったとしても、どの部屋に住んでいるかわからず、仮設住宅に比べて顔見知りが出来にくいというのだ。

「仮設住宅にいた時の方がさみしくなかった」とこぼす人もいる。岩元さんは「新聞を配布している時、あるスタッフが帰ってくるのが遅いなと思っていたら、『訪問先の一人暮らしの男性と一緒に映画を観ていました』と言うんです。たまには、いいかなと。訪問するとすごく話してくれますが、新たな人間関係はよっぽど頑張らないと広がらないようです」と語る。

また復興住宅に移り、亡くなる人も後を絶たない。孤独死でなかなか発見されない人も多いという。河北新報の報道によると、岩手、宮城、福島3県の災害公営住宅では、自死を除き、孤独死が2019年末で計251人に上るという。岩元さんは「緊張の糸が切れて体調を崩す人も多い」と語った。



民間の3.11追悼式「延期や中止はあり得ない」


日本政府も含めて各地で追悼式典が中止されているが、民間団体が毎年石巻市の南浜町で行う追悼イベント「3.11のつどい」は、実行委員会としては「延期や中止はあり得ない」として、今年も3月11日に規模を縮小して開催する。

いつもは「がんばろう!石巻」と書かれた看板付近で、100人以上のボランティアが県内外から集まり、東日本大震災によって市内で亡くなった人たちの数を表す約3600の灯篭を並べて、夕方から23時まで火を灯し、3000人近くの人が慰霊のため訪れる。今年は一般のボランティアは募集しないが、岩元さんを含む実行委員が2000ほどの灯篭を灯す。

前述のように政府主催の追悼式典は来年を最後に打ち切られるが、その後は地方自治体が引き継いでいくことになる。「地域に合った形で続いていくのであれば良いと思いますが、規模がどんどん縮小して小さくなっていけば、被災地が忘れられたような気持ちにしてしまう。これからは民間の一人ひとりがその日をどう過ごすかが大切だと思います」と岩元さんは語る。
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文=督あかり

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