復興は誰のため?「最後のひとりが仮設住宅を出るまで」石巻で新聞を配る編集長が拾う声

3年ぶりに再会した岩元暁子さん。スヤスヤと眠る息子を抱えて現われた =都内で撮影


石巻きずな復興新聞編集長、岩元暁子さん

岩元さんは震災直後から「ピースボート災害ボランティアセンター」を通じて石巻に入り、東京との2拠点生活を続けている。2011年10月~16年3月までセンターが無料で発行配布していた「仮設きずな新聞」を受け継ぎ、ボランティアとともに仮設住宅を1軒1軒周り、住民の思いに寄り添うように、話し相手として傾聴して配布するスタイルを貫いてきた。

岩元さんの夫の川口穣さんも副編集長として、記者の仕事をしながら新聞制作に携わる。昨年6月に長男が生まれてからは、岩元さんは息子を抱いて、石巻での活動を続けている。

石巻では、2019年9月についにプレハブの仮設住宅はゼロになった。宮城県によると、プレハブの仮設住宅はこれまで県内で延べ2万2095戸が整備され、石巻市内では県内でもっとも多い7300近くの戸数があり、そこに暮らす人々がいた。

最後は2軒だけ残り、いずれも「もう少し仮設に住みたい」という住民の要望があったが、「その人たちを追い出すように周りの仮設住宅を取り壊す解体工事が始まりました」と岩元さんは振り返る。

「住民の方は体調が悪いなか、自分の住む場所が定まらず、市の職員も親身になってくれず焦っている様子でした。また、復興住宅に住むのにも、市に提出する必要な書類がたくさんあり、思うように行かずストレスを感じているようでした。仮設はゼロになったけれど、手放しでは喜べない現状がありました」

いまは、2軒も含めてすべての仮設住宅で暮らしていた住民は、新たに災害公営住宅へと移った。石巻ではゼロになったのに伴い、現在、岩元さんたちは、「石巻きずな復興新聞」を災害公営住宅に配布するようにしている。

解体される仮設住宅を見つめる岩元暁子さん

新企画「突撃! 隣の復興住宅」始めました


プレハブの仮設住宅に比べて、一般のアパートや戸建てにも劣らない災害公営住宅での暮らしはさぞ快適だと思う人も多いかもしれない。実際に、岩元さんは新しい暮らしを始める住民を見て「やはり住環境が人に及ぼす影響は大きい。仮設住宅よりは広くて、日当たりが良くて、綺麗。気持ちが明るくなったという人は少なくない」と感じたという。

一方で、災害公営住宅ならではの困りごとや弊害も生まれている。

例えば、各団地には住民たちの交流拠点となる「集会所」が設けられている。岩元さんも、10ほどの団地を回って月1回、お茶会「お茶っこ」とともに、大道芸やハンドマッサージ、健康体操などのミニイベントを開いている。

だが、「お茶っこやイベントをさせてください」と伝えると、使用料の規定や運営方法が自治会で決まっていないので貸せないと言われることも多々あるという。半年から1年が経っても状況は変わらず、そのことにもどかしさを感じることもある。

このほかに、そもそも石巻では持ち家志向が強く、共益費という概念がない人もいるなかで、公営住宅法によって、共益費については自治会の会長や班長など住民が毎月集めなくてはいけないという。しかも団地によって500円から1000円、3000円、5000円とバラツキがあり、共益費の未収納も全国的な問題になっている。

最近、「石巻きずな復興新聞」では、3カ月に1回「突撃! 隣の復興住宅」というコーナーを設け、参考になる集会所などの運営方法を紹介している。やはり、キーパーソンがいる災害公営住宅はうまく回っていると感じる。

だが、岩元さんによると、新聞を配布するため個別に家を訪問していると、住民からは気がかりな言葉もよく耳にするという。
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文=督あかり

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