福島第一原発の現在地。震災から9年、まだ4万人が家に帰れない

福島第一原発事故から9年。廃炉作業は続く (GettyImages)

東日本大震災直後から、原発報道「原発のない国へ」を展開してきた東京新聞のこちら原発取材班。被災10年目を迎える2020年、東京電力福島第一原発の事故収束作業はどこまで進んだのか。原発取材班キャップの小川慎一が現場を辿りながら、福島第一原発と被災地の現在を伝える。

いまも4万人が避難、いびつな復興


東京から約230キロ離れた福島県双葉町にあるJR常磐線の双葉駅。2020年3月4日夜に駅前を訪れると、駅舎の時計の針は「2時48分」をさしたまま動かない。2011年3月11日午後2時46分に起きた地震直後、止まったままだ。

東日本大震災から9年、ようやく駅前に自由に入れるようになり、3月26日には東京五輪聖火リレーの走者が走る。ただ、町にはまだ誰も住むことができない。東京電力福島第一原発事故の影響が、尾を引いているからだ。

null
3月4日避難指示が解除された双葉駅前。駅舎の時計は「2時48分」で止まったまま=福島県双葉町で

福島第一原発は、双葉駅から南東3キロの太平洋沿いにある。双葉町南側に隣接する大熊町内に1~4号機が、双葉町側には5、6号機が立つ。東日本大震災時に全電源を喪失し、稼働中だった1~3号機で原子炉内の核燃料を冷やせなくなり、メルトダウン(炉心溶融)が起きた。

さらに、1、3、4号機の建屋内にたまった水素が爆発し、建屋が大破。飛び散った大量の放射性物質が東日本を広範囲に汚染し、最大で約16万人の住民が避難を強いられた。

原発事故は、人々の暮らしを根こそぎ奪った。福島県では今も、4万人が県内外への避難を続けている。政府は事故後、福島第一原発がある双葉、大熊の2町を含む計11市町村を避難指示区域とした。14年以降、避難指示解除が進んでいるが、7市町村で放射線量が高い帰還困難区域が残る。

null
双葉駅から少し離れた場所には、地震で崩れた家がそのまま残っている=福島県双葉町で

放射能汚染は、復興をいびつにもさせた。全町民が避難した楢葉町は、15年9月に避難指示が解除され、町に実際に住む人が住民登録者の6割弱程度まで回復。17年春に解除された富岡町、浪江町では、町に住む人はいずれも住民登録者の1割程度。両町では道路沿いの商業施設の廃虚が目立つ。

福島第一原発がある大熊町では、西側の大川原や中屋敷地区の避難指示が19年4月に解除された。真新しい町役場の庁舎があり、住宅の建設が進む一帯は聖火リレーのコースだ。



一方で双葉町は、双葉駅前と海沿いの地区で今年の3月4日に避難指示が解除されたばかり。町の95%が帰還困難区域で、駅から少し離れると地震で崩れた家が目に飛び込む。



事故から年月がたてばたつほど、避難先での生活が整い、「戻る」という選択肢が消える。被災自治体が、自治体として維持できるのか。近い将来、厳しい局面に立つことは避けられない。
次ページ > 行く手阻む高線量。内部で何が起きている?

文、写真=小川慎一

ForbesBrandVoice

人気記事