性的暴行や性的虐待を受けても加害者との関係を維持してきた被害者たちは、長らく、公判でその信ぴょう性を疑われ、不利な状況に立たされてきた。被害女性はどうして被害を受けたあとも、親密で、一見すると友好的に思える関係を続けてきたのかと、裁判官や陪審員は首をかしげたのだ。すぐに被害を訴え出ないことが、被害者が加害者に合意を与えたという意味に解釈された。
しかし、力関係の不均衡と、セクハラならびに性的暴行の複雑さを思えば、加害者との関係を維持した女性、または、すぐに訴え出なかった女性を批判することには慎重でなくてはならない。これは、職場でのセクハラをめぐる一般的な問題である。とりわけ、職場での影響力を持つ上司などの存在が、部下にセクハラを働いた場合がそうだ。
裁判官のルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)は、2013年に米最高裁判所で争われた職場での人種差別をめぐる裁判で、次のように書いた。「職場の同僚からハラスメントを受けた場合は、その場を立ち去るか、加害者に『失せろ!』と言うことができよう。しかし、自分を監督する立場にある人間から批判的な攻撃を受けた場合には、回避が容易ではない。─中略─ 監督者によるハラスメントは、同僚による同様の行為よりも顕著な害をもたらし、執拗に続く可能性が高い」
ワインスタインに有罪判決が下されたのは、#MeToo運動によって、セクハラと性的暴力の実情についての一般的な認識が高まったしるしだ。ワインスタインを性的虐待で告発した90人を超える女性たちは、侮辱や好奇の目にさらされても、正義を得るために敢然と訴え出た。
マンハッタン地方検察局がワインスタインを起訴して裁判にかけたことだけでも、前向きな動きが見られるしるしだ。より多くの被害者たちが、職場での不快な性的誘いかけを一掃するための戦いに挑む後押しとなる可能性がある。
いずれにせよ、職場であろうがどこであろうが、セクハラはまだ撲滅されていない。女性が勇気を奮い起こして声をあげれば、その訴えを信じる人が増え、ひいては組織的な変化がさらに進むことを、今回の判決が暗示していると願いたい。