著者と母・武澤順子

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるっている。巷ではデマが飛び交い、互いに疑心暗鬼になり、暗澹(あんたん)とした自粛ムードが日本列島を覆い包んでいる。

東日本大震災から9年、3月11日に予定されていた追悼式典も中止になった。僕がつとめる日本テレビでも、ZIP、スッキリ、バゲット、ズムサタ、シューイチなど、各情報番組で復興支援の企画を予定していたが、いくつかの学校行事が軒並み中止となり、断念した企画もあった。

そんななか、東日本大震災で家が半壊し、被災地の福島で必死に生きてきた87歳の僕の母から、手記が届いた。

第二次大戦と東日本大震災……、大きな困難と向き合って生きてきた母に、いまの日本の状況はどう映っているのか? 震災から9年目に寄せられたこの手記に、「これからの時代を生き抜くヒント」があると感じ、一部抜粋して紹介させていただきたい。

2つの大震災からの教訓


母・武澤順子(福島県相馬市在住)からの手記①「いまこそ震災の教訓を」

平成から令和へと元号が変わり、令和2年3月11日には東日本大震災から丸9年を迎えます。復興と再生への道は長く、厳しい現実はまだまだ続きますが、どんなに過酷で悲惨な状態であっても、人々はこの歳月を無にすることはありませんでした。

生業を求め、生きる術を探し努力した災害時の混乱のなかにも、我々は「略奪」や「暴動」を起こすこともなく、国や自治体の援助や自助をもとに、少しずつ少しずつ歳月をかけて復興再生を目指してきたのです。

震災の時には、住む家も親戚の命も奪われ、「戦争よりひどい」と感じました。なぜなら「戦争ではまだ憎むべき相手がいた。でも、天がしたことは憎みようがない」と思ったからです。津波によって瓦礫に覆われた風景のなかには、絶望しか見えませんでした。

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しかし、自然の治癒力は逞しいものです。数カ月後、瓦礫がすっかり撤去された大地には、押し寄せてきた塩水にも負けず、雑草が生い茂っていました。

「塩水にも負けずに、雑草は生き延びた。虫も、生きている。ならば、人も生きなくては……」そう、そのとき思いました。

日本人は多くの災害に苦しめられてきました。天災も疫病も数多くありましたが、でもその都度、知恵を出し合い、堪えるべきことは堪えて、助け合って生きてきたのです。

そして、今回の新型コロナウイルス。大昔から伝染病はありました。コレラ、ペスト、スペイン風邪、エボラ出血熱、新型インフルエンザ……。人類は、その都度、治療薬を開発し、それらに打ち勝ってきました。

こんなときにこそ、罵り合ったり、疑心暗鬼になったりするのではなく、互いを思いやり助け合う文化が、日本人にはあるはずなのです。

東日本大震災の教訓を生かして、いまこそ心を1つにして、頑張ろうではありませんか。もうすぐ東京オリンピックです。被災地を出発する聖火が、メインスタジアムに届くのを楽しみにしています。


この母から届いた手記を読んで、僕はひとつの光景を思い出していた。

1995年の阪神・淡路大震災、6000人以上が亡くなった大きな災害から数日後、神戸のとある避難所の取材をしていたときの光景だ。

家が崩れ、燃えて焼け出された被災者たちは、交わす言葉もなく、皆うつろな目をしていた。トイレには汚物があふれ、雑然とした避難先の体育館には、絶望的空気が漂っていた。

そんなとき、被災者のリーダー格の男性がこう叫んだ。

「みんな! 大変なことはわかるけど、いまこそ踏ん張ろう! とりあえず、身の回りの片づけから始めようや! 地震は防げないけど、伝染病は防げます!」

その言葉に、体育館で、放心状態で横たわっていた被災者たちが立ち上がった。物を整理し、一斉に掃除を始めたのだ。子どもたちも手伝った。家でもやったことがないトイレ掃除に汗を流し、桶の水で髪も洗った。

食料の配給では、自然と列ができた。

「まず、お年寄りからねー!」

自然と声を掛け合い、動けないお年寄りや小さな子どもたちに、優先的に食べ物が配られた。

誰1人文句を言う者などおらず、こんな状況でも助け合うその光景に、僕は誇らしさを感じ、自然と涙があふれていた。

文・写真=武澤 忠

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