ライフスタイル

2020.03.06 18:00

這ってでも会いにいけばよかった|乳がんという「転機」#12

北風祐子さん(写真=小田駿一)

新卒で入った会社で25年間働き続け、仕事、育児、家事と突っ走ってきて、「働き方改革」のさなかに乳がんに倒れた中間管理職の連載「乳がんという『転機』」第12回。

ユキちゃん、最後のメッセージ


2017年6月2日。この日、ユキちゃんが、天国へいってしまった。婦人科系のがんで、8年間闘病していた。

同期入社で、新入社員のとき同じ研修班で、同じフロアに配属され、それ以来のつきあいだった。会社での数少ない友人の一人だった。

私の実家に集まって研修課題に取り組んだときも、班で箱根に行ったときも、学生気分が抜けず勝手でバラバラの私たちを、力強くしっかりとまとめてくれた。私の結婚式の二次会では、空高く昇るような透き通った歌声で歌ってくれた。歌う喜びに満ちあふれた歌いっぷりが好きだった。

うちの息子が中学受験のときは、ユキちゃんの息子さんのTくんから過去問を譲っていただいたり、激励のメッセージをいただいたり、卒業式の式服をお借りしたりと、親子どもどもお世話になった。

ときどきランチをして、お互いに近況報告や日々の悩みごとを話した。私はユキちゃんの、Tくんを尊重し、おだやかに、あたたかく見守る視線が大好きだった。心配なことも深入りせず、無理やり解決しようとせず、そっと見守る。自分にはなかなかできないなあ、すてきだなあと思っていた。思っているだけじゃなくて、言えばよかった。いや、言わなくても、わかってくれていたと思う。とにかく、楽しそうにTくんの話をするユキちゃんが好きだった。

闘病しているのはユキちゃんなのに、話すといつもこちらが元気になった。笑顔で、明るく、知的で、夢と現実のバランスの取り方が絶妙で、周りに一切振り回されず、自分の考えで行動して、好きなこと(マニアックでユニークな趣味)を楽しんで、好きなもの(マニアックでユニークなもの)を大切にしていた。詳しい病状は話題にしなかったから、大丈夫だと信じていた。

5月に入って、ユキちゃんのお見舞いに行った人から、私が乳がんの手術をしたことを知ってユキちゃんが心配していたと聞いた。私から、ユキちゃんに、会いに行きたいと連絡したら、5月23日に返事をくれた。
次ページ > 泣けて、泣けて、読めなかった

文=北風祐子、写真=小田駿一、サムネイルデザイン=高田尚弥

タグ:

連載

乳がんという「転機」

ForbesBrandVoice

人気記事