私が声をあげた時、あなたはそれを優しく受け止めた

受け手の存在は、生きていく上で不可欠だ


今振り返っても、私は運が良かったと思う。周囲に恵まれていた。ニュースや友達の話を聞いても、会社に理解されないこと、親に理解されないこと、必死で絞り出した声が聞き入れてもらえないことは多々ある。それが原因で口を閉ざす人もいる。トラウマになるケースも少なくない。

3年前、私は前職のハフポストで「Ladies Be Open(もっと身体について話そう)」という企画を立ち上げた。生理のこと、体型のこと、すっぴんのことなど、まだまだ公に話せないようなトピックを扱って、まずは自分たちから声をあげることにした。

嬉しいことにたくさんの人から賛同をもらい、数々の意見や体験が寄せられた。あの時、「声をあげる」こと自体が素晴らしいと思い、たくさんの場所でその大切さを伝えた。でも、そんな自分は声を受け止めた人たちによって成り立っていることが今思えばよく理解できる。

ハッシュタグ「#MeToo」がなぜ世界のムーブメントに変わったのか。それは一人の声をあげた当事者に対して「#MeToo(私も)」と同じ思いをした人々が反応したからではないだろうか。

大量の受け手によって広がった運動。もし「#セクハラ反対」や「#私は辛い」という当事者の声を一方的に発信しただけのハッシュタグであるならば、ここまで広がったのだろうか。正解はわからない。しかし、受け手の連帯が国境を越え、女性たちに力を与えたと言えるだろう。

私は国際女性デーに改めて感謝したい。私の声を、小さな声を拾い上げた人たちに。彼らなしには今の自分はいない。

誰かが声を出した時、そばにいて受け止められる人。それを次につなげる人。一つひとつの行為がなければ、変化は起きない。大切な人の声にきちんと耳を傾けているか。その小さな行為は、相手の人生や社会を変える大きなインパクトになる。

声をあげた女性に耳を傾けること、そんな世の中が当たり前になったらいい。受け止める相手がいることに対して、「私は運が良かった」なんて言わない世の中がいい。

文=井土亜梨沙

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