私が声をあげた時、あなたはそれを優しく受け止めた

受け手の存在は、生きていく上で不可欠だ

「ずっと好きでした」。

普段何気なく接している同僚からそんな告白を受けた時、あなたはどんな反応をするだろうか。「ありがとう、嬉しい」と素直に受け止める人、「嘘でしょ?」と冗談にする人、その場をはぐらかして気まずい関係になる人。受け手の反応が発信者の心を傷つけることも、温めることもできる。

同僚からの告白以外にもそんな受け手の反応が試される場面は多々ある。親から病気を伝えられたとき、上司にミスを指摘されたとき、友達から転職を相談されたときなど自分の反応が相手の人生を左右することは日常だ。

振り返れば、私は受け手に恵まれた。自分の中からどうしようもなく出てきた声をそっと拾う人がいた。受け止める人がいた。そして、優しく他の誰かに手渡す人がいた。

そんなことが繰り返されて、私は救われてきた。

昨年、日本のジェンダー・ギャップ指数は世界で121位と過去最低を記録した。順位を下げるという変化は何を意味するのだろう?まわりを見渡したとき、確かに女性が声をあげることに、「生意気だ」という反応があったり、反応さえなかったりする例を身近によく聞く。

しかし、変化は「言葉」や「声」から始まる。勇気を振り絞って投げかけられた言葉に命を吹き込むのは、紛れもなく受け止める周囲だ。あの時私の言葉を孤独にさせなかった周囲。

1960年代のフェミニストたちは「the personal is political(個人的なことは政治的なこと)」をスローガンとした。国際女性デーの今日、彼女たちに敬意を示し、自分の話を紹介したい。

「先生に言おう」


10歳の時、歩道橋の上で友達と歩いていたらいきなり痴漢にあったことがある。びっくりするくらい突然のことで、一瞬のことで声をあげる余裕もない。その場で何が起きたのかを解釈することも当時の私には難しかった。

私はその時から、笑ってごまかすことを覚えたのかもしれない。痴漢された直後に私は友達に向かって笑った。今から考えると相当混乱していた。この状況は「冗談だ」。そうやって小さい体と脳みそで判断しようとしたのだと思う。「大丈夫」。友達に向かってその言葉を発するのが精一杯だった。全然大丈夫じゃない私は、必死で記憶を消そうとしていた。
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文=井土亜梨沙

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