現在事務所に所属することなく、フリーのお笑い芸人とユーチューバーとして活動しているが、実は大手芸能事務所の芸人養成所を経て、コンビのお笑い芸人として活動していた過去がある。いわゆる“王道ルート”を歩いていたわけだ。
しかし、その王道ルートを降りたことこそ、彼女が驚異的なスピードでブレイクする転機になった。彼女はいかにして、自分にとっての“最強ルート”を選び取ることができたのか。彼女の決断の背景に迫った。
テレビで活躍したい!旧来の仕組みの中で模索していた芸人時代
私が芸人になったのは、ギャルの友達の一言がきっかけです。「フワ面白いから芸人になった方がよくね?」って。そのままの勢いで養成所に入りました。ギャルのノリって大事(笑)
もともと子供の頃から芸能人になりたかったんですよ。漠然とテレビで活躍したいなと思っていて……。でも、芸能人はただテレビに出てるんじゃなくて、歌のうまい“歌手”とか、可愛くて踊れる“アイドル”とか、特技や肩書きがいるんだなと少しずつ分かってきて「じゃあ私は何だろう?」と考えるようになりました。
そこに“お笑い芸人”という、私にとって一番しっくりくる答えをくれたのが友達の一言だったんです。
でも芸人になってみたはいいものの、ネタも覚えられない大喜利もできない、エピソードトークもうまく話せない。オーディションを受けまくっても全然売れる見込みが見えませんでした。
私、誰といてもどこにいても絶対に面白いのに、なんでこんなにうまくいかないんだろうって苦い気持ちになることも多かったです。
芸人生活はだいたいそんな日々で、後輩の厚切りジェイソンさんやブルゾンちえみさんが先に売れたりもしたけれど、なぜだか危機感はあんまりなかったです。同期の芸人はそんな状況に焦ったり怒ったりする中、私はなんのプライドもなく「35億」をやりまくってました。周りには「この状況焦らなあかんで。何ヘラヘラしてんねん!」って言われてました。
確かに「何で私はこの状況でヘラヘラしてるんだろう」と思ったけど、普通に毎日楽しかったんですよね。下手したら、その売れてない状況が10年続いてもずっと楽しかったと思う。
ギャルの友達とよく話すんです。「大きい幸せと、小さい幸せの多い人生、どっちの方がいい?」って。大きな幸せは宝くじが当たるとか、夢が叶うとかで、小さい幸せは信号がずっと青だったとか、一週間晴れ続きとか。話してたら結局「どっちもじゃね?」ってなって終わるんですけど(笑)。