小6の宇多田ヒカルも突破できなかった、お〜いお茶新俳句大賞の超難関

新俳句が書かれたペットボトル

日本で一番応募数の多い俳句大会をご存知だろうか。伊藤園が手がける「お〜いお茶新俳句大賞」だ。「お〜いお茶」シリーズのパッケージに必ず入っている俳句を募集したコンテスト。第一生命の「サラリーマン川柳コンテスト」の2019年の応募者数が5万句に対し、新俳句は2019年に199万5869句集まっている。さらにその応募者数は30年という歴史の中で、最多だった。

日本を代表する女性アーティストである宇多田ヒカルも小学生の時に応募し、自身の「原点」と語っている。

なぜ伊藤園の新俳句はここまで愛され続けるのか。新俳句についての知られざる事実を7つ紹介しながら、その歴史と軌跡を振り返る。新俳句を担当する伊藤園マーケティング本部の横山佳史に話を聞いた。


伊藤園マーケティング本部の横山佳史(写真=小田駿一)

1. 新俳句 お茶と一緒の 誕生年


新俳句は平成元年に始まった。それは、伊藤園の主力商品である「お〜いお茶」が誕生した年でもある。1985年(昭和60年)に世界で初めて緑茶の飲料化に成功した伊藤園は「缶入り煎茶(緑茶)」を販売した。当時、お茶にお金を払うという概念がなかった。そんな「常識」を変えたのが伊藤園だった。


最初に売り出した商品(写真=伊藤園)

しかし、最初に売り出した缶のお茶は地味でインパクトに欠けていた。今の鮮やかな黄緑よりも深い緑色で文字の色も薄い。近くでみなければ、その内容が伝わりづらい。そこで名称とともにリブランディングが行われた。今では考えられない表現だが、当時CMのなかで男性が妻に向かって「お〜いお茶」と呼びかけた箇所がそのまま名称に変わった。それを機にマーケティングの一環として「伊藤園お〜いお茶新俳句大賞」が始まった。

新俳句の募集が始まった1989年の前年には俵万智さんの「サラダ記念日」が発売され、260万部の大ヒットを記録した。カルチャーセンターでは、俳句や短歌の講座が人気だったが、自身の作品を発表する場がまだ少なかった。そこで「お茶」に俳句を掲載するという新たな取り組みとして始まった。
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文=井土亜梨沙、写真=小田駿一

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