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乳がんという「転機」


不幸中の幸いで、早期発見されたのは、まだやりたいことも、やるべきこともやっていなかったからだと思う。空の上の大きな存在から、いいからやれ、好きなようにやってみろ、と言われている気がする。

まだ傷跡も、胸に刺さっていた二本の管の跡も、どちらも強烈に生々しく、傷口が痛くて肩は上がらないし、歩くのも大変だし、1カ月後に出てくる病理検査の結果も心配だけど、新しい人生が楽しみでしかたがない。

支えてくれた皆さま、祈ってくれた皆さま、ほんとうにありがとうございました。

退院してすぐに聴いたCD


2017年5月18日。退院の朝は、両親が来てくれた。

病院が苦手な父も、荷物を運んでやると言って、来てくれた。父は、初診を受けるまでの最悪な10日間、フラフラの私に対して、「いいか、祐子はこれまでいつもツイていただろ。だから今度も大丈夫だ」と、自分に言い聞かせるように言っていた。申し訳ないほど心配をかけてしまった。

帰宅後、すぐに香苗からもらったCDを出した。高校時代からの親友の香苗と美佳が、お見舞いに来てくれたとき、香苗が「恥ずかしいから退院したら聴いてね」と照れ笑いしながら渡してくれた自作のCDだ。

乳がん

昔から変わらない几帳面で美しい文字で書かれたプレイリスト。文字がわずかに左に傾いているところまで変わっていない。きれいで優しい人は、きれいで優しい字を書くのだ。

CDの一曲目が始まった。WANIMAの「やってみよう」。香苗は音楽鑑賞が大好きで、長男もバンドをやっていることもあるのか、世代を超えていい曲をたくさん知っている。「やってみよう」は、新しい人生を始めようとしている私にピッタリの歌だった。

事件は、曲の最後のほうで起きた。いい歌だなあ、元気が出るなあ、こんなパワフルな歌を一曲目に持ってくるなんて香苗はやるなあ……と思っていたら、「倒れるなら前に倒れよう」という歌詞が耳に入ってきたのだ。

その瞬間、ダバーっと涙があふれて、止まらなくなった。誰もいないのをいいことに、号泣した。人間ドックの結果を開けたときから今までで、泣いたのは初めてだった。

そう、私は、倒れるなら前に倒れたい、と、この2カ月で腹をくくっていた。やむなく倒れてしまうなら、前に進んでいる状態で倒れたい。恐れて、暗くなって、後ろ向きになった状態で倒れたら、後悔しか残らない。前につんのめるくらい、好きなことだけをして突き進みたい。

作詞家が何を意図していたかはわからないが、退院直後の私の気持ちと完全一致した。

その後、調べたら、「やってみよう」を作詞したのは、当時同じ会社にいた、今をときめくスタークリエーターS氏だった。偶然なのだが、1カ月休職して、職場に復帰したあとの最初の仕事でS氏と協働できることになった。

初顔合わせの会議に香苗のCDを持参して、退院直後の状況を説明して、「やってみよう」を絶賛して、S氏に御礼を言った。

S氏は初対面にもかかわらず猛烈な勢いのおばさんに対して、穏やかな笑顔で「それはよかった、うれしいです。ありがとうございます」と言った。誰に向けて書いたのかという質問には、「あの歌詞自体は、若い人に向けて書きました」との返答だった。

いやいや病気のアラフィフにも、前へ進む力を与えてくれましたよ。チャレンジに、年齢は関係ないんですよ。と、心の中でつぶやいた。

乳がん

文=北風祐子、写真=小田駿一、サムネイルデザイン=高田尚弥

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