チームは弱小、運営会社は倒産寸前だった7年前。千葉ジェッツはいま「奇跡」と呼ぶべき業績を収めている。スポーツビジネスで勝ち筋を見つけた経営者の言葉には、他領域にも生きるヒントがあった。
バスケットボール男子日本一のチームを決める「天皇杯」において、現在3連覇と快進撃を続けるチームがある。話題のBリーグに所属するプロバスケクラブ「千葉ジェッツふなばし」だ。その勢いはプレーだけに留まらず、リーグ内で2018〜19年シーズンの売上高1位、観客動員数1位、SNSフォロワー数1位と、ビジネス面でも成功を収めている。
しかし、創設当初の2011年頃、チームは倒産寸前の経営不振にあえいでいた。立て直しに尽力したのが、代表取締役会長(当時社長)で著書『千葉ジェッツの奇跡』を記した島田慎二氏だ。島田氏はもともと旅行業界出身で、経営経験はあるもののバスケは門外漢。圧倒的なビハインドを跳ね返し、いかにして逆転劇をなし得たのか。
“やんちゃキャラ”で認知拡大千葉ジェッツはもともと、有志により10年に発足したチーム。島田氏が経営を引き継いだのは赤字が深刻化した12年だった。30歳で起業した旅行会社を2年前に売却、そのノウハウを生かして経営コンサルティング事業を営んでいたが、スポーツビジネスは未経験。当時41歳、野心や勝算があったわけではなかった。
「取締役会長だった道永幸治さんは、私が以前経営していた会社の出資者であり、ビジネスの理解者でもあった大恩人です。その道永さんから『なんとかしてほしい』とお願いされたので、それは結果でお返しするしかありません。社長以下はまだ若く、想いはあるけれど、経営面で力が足りていなかった。生まれたばかりの大事な赤ん坊を任されたような使命感です」
プロスポーツは特殊なビジネスだ。まずは選手の育成や獲得、試合の勝敗というコントロールが難しい要素の影響を受けること。そしてチケット販売やグッズ製作、ファンクラブ運営、スポンサー募集など、toBからtoCまでさまざまなチャネルが存在すること。さらに「本拠地」という概念があるように、行政や商店街、政治家との付き合いを含めた地域に密着した経営が不可欠であること。
島田氏もこれらに翻弄され、結果が伴わない時期が長かったという。「初期は『弱い』『客がいない』『そもそも誰も知らない』と、壊滅的な状況。無茶苦茶に絡み合った糸を一本ずつほどいていくような毎日でした」と振り返る。
ハーフタイムショーでのチアリーディング。経営が軌道に乗ってからは会場演出にも注力している。「どうも八方美人だったというか。チーム状況、収益、地域における位置づけ、それぞれのステークホルダーのニーズに歩み寄ろうと必死になっていたのですが、途中で『これはキリがないな』と思うようになって。そこからは『賛否を巻き起こしてでも自分たちのスタンスを明確にしたクラブを作る』方針へ切り替えたんです。結果、利害の衝突も起きましたが、何も成せず潰れてしまうよりはいい。しがらみに因われて成長スピードを落とすのではなく、我々は最短距離を行くぞ、と」
いわゆる「マーケットイン」から「プロダクトアウト」のスポーツビジネスへ。それが顕著に表れているのが、13年、創設当初より参入していたプロチームのみのbjリーグから、プロ・社会人混在の日本バスケットボールリーグ(NBL)へ移籍したことだ(15年に両リーグが統合しBリーグが生まれる)。
当時、NBLは資金の豊富なトヨタ自動車男子バスケットボール部(アルバルク東京の前身)を筆頭に実業団の名門がしのぎを削っていた。
まだまだ弱小だった同クラブの移籍は業界内でもファンの間でも無謀だと批判にさらされた。しかし、島田氏はこれを「弱者なりの戦略」だったと表現する。
「とにかく認知を広げなければいけないけれど、メディアが取り上げる要素がなかった。そこでジェッツというクラブにキャラづけをすることにしたんです。当時他のチームを見渡してみると、私にはどこのチームも同じに見えた。だから、そこから頭ひとつ抜け出して差別化をするために『やんちゃキャラ』が必要だ、と。無謀なことを率先してやるクラブというイメージを持ってもらうには、NBLへの移籍は最適でした。そのうえで、『打倒トヨタ』というスローガンを掲げたわけです」
スポンサーの心を掴むストーリーとロジックスポンサーを獲得しなければ、資金が底をつく瀬戸際。広告効果を望める価値がクラブにほとんどない状態で、いかにスポンサーを説得するか。
そこで島田氏は「弱小チームがいつか最強の敵を倒す」というストーリーを売ることにした。「どんなビジネスであれ、最終的な目標は相手の首を縦に振らせること」というのが、同氏の信条だ。社員総出で営業に駆け回った。
社運を懸けたジャッジだったが、企業の反応はいまいち。ジリジリと追い詰められる中、島田氏はもう一押しのロジックを探す。そこで目をつけたのが当時NBLにあったサラリーキャップ、つまり選手の年俸総額の上限。運営企業の資金力の差がチーム力の差につながることを是正するための制度だ。
「NBLのサラリーキャップは1チーム1億5,000万円。これはトヨタでもうちでも同じ額です。無制限に選手の補強に金をかけられて、個人の年俸だけで数億円単位になる野球やサッカーと違い、バスケはこの範囲内でチームを作らなければいけない。だから、みなさんの協力次第で、本当に世界のトヨタを倒せる可能性があるんです。そういうプレゼンに変えたところ、これが刺さった。結果2億5,000万円の資金が集まったんです」
島田氏を動かしてきたのは、大事な赤ん坊を「預かった」という意識だった。しかし、一連の過程で消えかけた赤ん坊の命。その責任を直にその手に感じたことで、自分が親として「育てる」という当事者意識が根づいたのだった。
NBLへの移籍はクラブへもうひとつの運命をもたらした。日本人2人目となるNBA(北米の男子プロバスケットボールリーグ)契約を結んだ富樫勇樹選手との出会いだ。
2014~15年シーズン、NBA下部リーグでプレーし、ケガで帰国していた富樫選手は、トヨタ所属の友人の試合を観戦。その相手が千葉ジェッツだった。試合会場で島田氏と挨拶をし、名刺を受け取った富樫選手。その名刺をしまったまま、数カ月後に財布を落としてしまう。その財布を拾ったのがたまたま富樫選手のファンで、島田氏の名刺に書かれた電話番号に連絡が入った。
無事に財布を返してから数カ月後、イタリア・セリエAチームでのプレシーズン契約が終了。日本での移籍先を探していた富樫選手はエージェントを通じて、島田氏に可能性を打診。その翌月となる2015~16年シーズン開幕直前、電撃入団が決定した――。
以降、千葉ジェッツの躍進に果たした富樫選手の功績は、説明するまでもないだろう。同選手を中心にしたチーム強化は、天皇杯3連覇などの結果につながっていった。
財布を通じた不思議な縁から、2015年9月に千葉ジェッツへの電撃入団が決まった富樫勇樹選手。司令塔と得点源として、Bリーグ2年連続準優勝、天皇杯3連覇などチームの躍進に大きく貢献している。バスケの試合を「映画」にたとえる島田氏は、富樫選手に「人気俳優」の役目を担ってもらうべく、獲得にためらいはなかったと振り返る。魅力がなければ長く愛されない経営を引き継いだ当時からは、想像もつかないほどの変化が巻き起こっている。島田氏は「あり得ない奇跡の連続で、神様にこの役割を命じられたのかなと思う」とする一方で、プロスポーツクラブ経営の勝ち筋についても言及する。
「いま、多くのプロスポーツクラブ、特に地方の小規模なところでは、『商品である試合興行の魅力を高める』というスポーツビジネスの本質に向き合うことなく『まずはお客さんに来てもらうために一生懸命集客する』といった戦略が目につきます。」しかし、これは地域密着型のスポーツビジネスにおいては逆効果だと、島田は続ける。
「新しいものに対して慎重な地方都市において、離れたお客さんは二度と帰ってこないと言っても過言ではありません。チームの魅力を上げる努力だけでなく、会場のおもてなしも不十分な状態で試合を観戦してもらっても、ファンを減らすばかり。もともと人の少ない地方では、じきに枯渇してしまうでしょう」
赤く染まる船橋アリーナ。3万人だった年間入場者数はいまや15万人超え、4連続日本一を達成した。だからこそ、まずは十分な資金を集めて、選手の育成や獲得に使う。チームが魅力的になったら、試合会場の演出を派手にするなどして、エンターテインメント性を高める。同時に、ホスピタリティにも力を入れる。「ここでようやく、お客さんを呼び込む準備が整う」と島田氏。
「そうすると、お客さんの満足度も上がり、スポンサーもつきやすくなる。プラスのスパイラルが生まれるのです。商品の魅力が低いままで商品を売ろうとしても、長く愛されるようにはならない。これはスポーツに限らず、市場がニッチだったり、小さかったりするビジネスにおいては、再現性のある教訓ではないでしょうか」
富樫選手は19年、Bリーグで日本人初となる1億円プレーヤーになった。試合では内容だけでなく、ファンたちが一体となって楽しむことができるようなプロジェクションマッピングなどの非日常感を徹底した演出も話題に。
クラブはミクシィ社と資本提携を締結し、1万人を収容できるアリーナを建設する予定だ。いままさに、社会は島田氏の言う「プラスのスパイラル」を目撃しているのである。
「たとえ経営のファンダメンタルが不足している状況でも、視点を変えれば起死回生の一手は打てる」と言い切る島田氏は、19年8月に社長を退き、副社長の米盛勇哉氏にバトンを渡した。
「いまは千葉ジェッツの奇跡の第一章が終わって、第二章が始まったところです」と島田氏は今後の展望を話し出す。「ここからは引き続き会長としてクラブに関わりつつ、日本トップリーグ連携機構の理事兼クラブ経営アドバイザーとして、バスケのみならずプロスポーツクラブ経営全般の成長に寄与していきたいと思っています。結果としてスポーツと地方創生との関わりを通して、日本社会に貢献できたら最高ですね」。
SATORIhttps://satori.marketing/