ロナウドを探してユニフォームを見ると、そこに刻まれた7という番号で、すぐに彼だと認識できる。さらにこの背番号は、ピッチ上だけでなく、ピッチの外でも威力を発揮している。フォワードとして活躍するロナウドは、自らの背番号を国際的なファッション・ブランドへと変貌させた──それが「Cristiano Ronaldo 7」の頭文字をとった「CR7」だ。
しかしなぜ、背番号7はロナウドを象徴する数字になったのだろうか? これまでの軌跡を振り返ってみよう。
この2月に35歳になったロナウドだが、ポルトガルのリスボンにあるスポルティングCPのユースチームでプレーしていた少年時代は28番をつけていた。2003年、次の所属クラブとなるマンチェスター・ユナイテッドとのプレシーズンマッチでも、この番号で出場していた。
ロナウドが初めて背番号7のユニフォームに袖を通したのは、ユナイテッドに移籍した2004年のことだ。当時チームを率いていたアレックス・ファーガソン監督がロナウドを説得し、このクラブを象徴する番号の7番をつけさせたのだ。こうして、それまで背番号7をつけ、チームの顔だったデイビッド・ベッカムがレアル・マドリードに移籍したのに伴ってロナウドは背番号7を受け継ぎ、スーパースターへの階段を駆け上がった。
背番号7をつけたロナウドは、ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードを沸かせた、過去の偉大な選手たちの後を継ぐことになった。ユナイテッドで背番号7と言えば、ロナウドがマンチェスターの地に足を踏み入れる前にも、先述のデイビッド・ベッカムをはじめ、ジョージ・ベスト、エリック・カントナといった伝説的選手がつけてきた背番号だ。
だが、ロナウドがチームを去って以降、ユナイテッドの「赤き7番」を背負った選手たちは、いずれも才能にあふれる名の知れたフォワードだったが、目立った成績をあげていない。これはひょっとすると、ポルトガル出身の稀代の点取り屋、ロナウドが挙げた実績が偉大すぎるがゆえの問題なのかもしれない。
ロナウドの次に背番号7をつけた元イングランド代表のマイケル・オーウェンは期待に応えられなかった。続く2014年、今はパリ・サンジェルマンで活躍するアンヘル・ディ・マリアがこの番号を受け継いだ。当時の英国サッカー史上最高額となる5970万ポンド(約101億円)という移籍金でユナイテッドに迎えられたディ・マリアだったが、1年でパリへ放出された。
最近でも、チリ代表のスター選手、アレクシス・サンチェスの例がある。2018年1月、アーセナルから鳴り物入りで加入したサンチェスも、背番号7をまとった。アーセナルとの契約がちょうど切れるタイミングを狙い、ユナイテッドはサンチェスに3900万ドル(約43億円)をつぎ込んだ。ユナイテッドのフロントは「お値打ちで」獲得できたと胸を張り、この移籍でサンチェスは大金を手にした。