文楽界のイノベーター、 六代目竹本織太夫の「巻き込む力」

竹本織太夫


「もう一つは、このまちに愛されたいから。 人形浄瑠璃という芸能が、大坂ミナミの真ん中の道頓堀で竹本座として産声を上げ、 そこからミナミの人たちに愛され、育まれ 続けていまがある。そして僕自身は、そのミナミで生まれ育った。襲名するとなったら、なによりもまず、地元の人たちに、応援していただかなければと思ったんです。

襲名の『お練り』というのはマスコミが勝手に呼んでいたので、僕らはミナミの各商店街に襲名のご挨拶にまわっただけ。ゆかりの高津神社から、綱太夫家にとって重要な法善寺まで、七つの商店街すべてを回ると、結果として『史上最長』になってしまった」
 

豊竹咲甫太夫から「竹本織太夫」へ 


襲名は一つの転機だった。
 
「平成の時代は、(五代目竹本)織太夫と(七代目竹本)住太夫という、二大巨頭の時代でした。2人が光り輝いていたんです。その名前に、なれと言われた」
 
しかも織太夫は、大名跡「竹本綱太夫」の前名、次は綱太夫になることをも意味する。四代目・五代目織太夫は八代目・九代目綱太夫を襲名し、ともに人間国宝になっている。

「住太夫師匠の引退のとき、楽屋で言われたんです。『お前は文楽のために発言しろ、文楽のために行動しろ』、『そしたらなんぼでも、まわりが褒美くれる』って。この人の文楽に対する愛情、文楽を愛している人たちに対する愛情を、継ぐ。自惚れかも、驕りかもしれない。でも『お前やったらやれるやろ』って、思ってくれたんだ と思ってます。住太夫師匠にそれを言われたことが、ずっと残っている」
 
人間国宝の七代目竹本住太夫は引退後、2018年に逝去。芸に対する妥協のない姿勢で知られた。このエピソードで驚くのは、 織太夫は直弟子ではないからだ。織太夫の師は、住太夫の弟弟子にあたり、現在現役唯一の切り場語り(太夫の最高位)で、 同じく人間国宝となる、豊竹咲太夫である。

先人の思いを受け止め、今日も走り続ける竹本織太夫。代々が目指してきた、高みに迫る姿勢はあくまで堅持し、なお時代の人々の心に寄り添うあり方を考え抜いて、決断し、粘り強く一つひとつ実現にこぎつける。その思いは、芸にも、普及のさまざまなプロジェクトにも貫かれている。 

織太夫の仕事は、まさしくイノベーションの志のあらわれといえるのではないだろうか。その挑戦の成果を、私たちは劇場で目撃することができる。
 

たけもと・おりたゆう◎1975年大阪心斎橋生まれ。祖父は三味線の二代目鶴澤道八。83年豊竹咲太夫に入門。豊竹咲甫太夫を名のる。2018年、竹本織太夫を襲名。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」にレギュラー出演するなど、文楽の普及に努める。初心者向けの案内書として『文楽のすゝめ』を監修。19年12月に続編『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』刊行。

文=本橋ヒロ 写真=佐々木 康

この記事は 「Forbes JAPAN 1月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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