エディター、ライター

PANERAI Panerai Luminor Marina

研壁さんとパネライの出会いは、とても古い。

「僕は、20代から30歳半ばまでイタリアで仕事をしていました。まだパネライがそれほどメジャーではない1998年くらいだと思うんですが、ミラノ・スカラ座近くの通りにあった小さなパネライショップのショーウィンドウではじめてヴィンテージパネライを見たのが、パネライとの出会いでした。

今まで見たことがなかった、計器の一種のような腕時計、絶妙な数字の形。その存在感、色気に驚き、それ以来パネライは自分にとって特別な存在になりました」

時計ブランド“パネライ”が市販化されたのが97年。いわば、パネライが世に出たばかりの頃に出会ったということになる。

当時の研壁さんは、ROMEO GIGLIのアシスタントデザイナーを経て、世界的に有名なセレクトショップ10 Corso ComoのオリジナルブランドNN STUDIOのチーフデザイナーを務めるなど、デザイナーとして活躍し始めていた。

サポートサーフェスを立ち上げたのが99年なので、まだ自身のブランドの夜明け前でもあった。そんな頃に、パネライと遭遇したのである。

「当時のパネライの価格はいまより安かったと思うのですが、自分にとっては非常に高額だったので、すぐに購入できるものではありませんでした。当時僕が欲しかったのは、44mmのシンプルな2針モデルのルミノール。しかし頭の中にあった憧れのモデルはあのパネライショップのショーウィンドウで見たヴィンテージパネライ。ケースサイズはおそらく47mmでした。しかし当時、47mmの2針モデルのルミノールは市販されていませんでした。それでも、いつか復刻されるのではないか、そう思い、ずっと待っていました。すると、いまから7年か8年ほど前に、あの47mm、2針のタイプが発売されました。即買いでした」

それほどまでに2針のパネライに惚れ込んだ研壁さん。一線で活躍するデザイナーを虜にするパネライの魅力とはいったい何だろうか?

「まず、ルミノール独特のリューズプロテクターのゴツさ。クルマでいうとランドローバーのディフェンダー、メルセデス・ベンツのGクラス、それからジープなど軍用独特のワイルドな格好よさ。機能から生まれた無駄のないデザイン。機会的な美しさ、奇跡的なバランスですね。これはデザイナーが計算してもなかなか作れない。究極です」

だから、研壁さんの腕には常にパネライがある。「着けていないと不安になる」ほど、自分自身の価値観を反映したもの。それが研壁さんにとってのパネライだ。

photographs by Kazuya Aoki | text by Ryoji Fukutome | edit by Tsuzumi Aoyama

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