災害支援から学んだ、滅私奉公の終焉とインターネット

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日本人はどうしても滅私奉公が好きで、自分を殺してまで相手に貢献する癖があります。しかし、それでは持続的な活動はもちろん、相手を笑顔にすることもできません。まず自分が笑顔になって、人をサポートをすること自体が楽しくなるような形にしなければ続かないのです。

誰かを助けるのなら、滅私奉公ではなく、自分も楽しいほうがいい──。僕はこの体験から、まず自分が楽しめる状況をしっかり作ったうえで、「僕が楽しいからやってるんだ」という自己中心的な利他の精神を、考えの中心に据えるようになりました。

このように、持続的で自己中心的な利他の形は、オンラインで人と人がフラットにつながることによって、小さな痛みをもってる人々と、その痛みに光を与える人々が集う空間を生み出します。例えばクラウドファンディングのように、小さな需要と善意の力をつないで、持続的な支援につなげていくこともできるようになりました。しかもクラウドファンディングのいいところは、支援する楽しさを味うエンタメの要素があるところだと思います。

全ては作る人、使う人次第


こうして善意の実現に活用されるようになったインターネットやデジタルですが、その力は強大です。例えば、原子力が人の生活を支えもすれば奪いもするように、便利な最新技術は常に人を救いもし、殺しもする危険があることを実感します。技術自体に罪はなく、全ては作る人、使う人次第であり、インターネットで表現されることは、人の心の反映にすぎないのだと思います。

だからこそ、僕はインターネットに関わる上で、阪神淡路大震災で培った経験と自分なりの考えを振り返り、自分の発想や行動が当時の自分に背いていないかどうかを点検するようにしています。

きっと誰にでも、今の仕事を支える原体験はあるものだと思います。何度でも立ち還る純粋な体験を、みんなで共有していけたら素敵だなと思います。

連載:ポストAI時代のワークスタイル
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文=尾原和啓

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